リンパ腫闘病 PR

強制給餌と与太話【愛猫のリンパ腫闘病日記236】

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抗がん剤治療を辞めたことで、即体に変化が現れてしまった。

それがいいことであるはずはないのだが

ある種、本来の軸に戻ってきたと言えばいいのだろうか・・・。

悔しいし辛いが、不思議と受け止めている自分もいる。

「もしかしたら」が、失われている

闘病初期はずっと思っていた

「もしかしたら」完治するかも

「もしかしたら」寛解するかも

「もしかしたら」突然腫瘍がなくなるかも

そんな「もしかしたら」

抗がん剤を辞めたことで、なくなってしまった。

希望が、なくなってしまった。

そんなことは分かっている

もう、そんな思考はしない!そう思っていたのに

強制給餌をしている時にやっぱりふと思ってしまう

「抗がん剤治療を辞めたけど・・・逆に辞めたことで、奇跡の逆転劇で、突然の寛解しないかな?」

「実は抗がん剤が悪さをしてただけで、辞めた途端毒素みたいなもんが抜けてしばらくしたらリンパ腫死滅したりしないかな・・・!」

「抗がん剤なしで強制給餌したら、抗がん剤の副作用”体重減少”がないからめっちゃ太って、リンパ腫退治できたりしないかな」

ポーチーに話しかけながらご飯をあげているのに頭の中ではこんなことばかり考えてしまっている

何度もわかっているのに、何度も自分を責めてしまうし

闘病生活初期では「正常性バイアス」とか希望的観測的な話めっちゃしてるくせに

結局こういう状況になったら、自分がそうなってて・・・・。

改めてこうして文字で記録をつけているおかげで、冷静になれる自分もいる。

とにかく今は心を落ち着け、目の前のポーチーを大事にしよう

目の前にいるポーチーが、いつか、僕の目の前からいなくなってしまう

そんな現実を、たかだか数日数時間でスッと受け入れられるはずがないんだ

文字通り強制的にご飯をあげているだけ

あげなければ、きっと食べようとしないだろう

ポーチー本人はきっと、もう、そう言う次元なんだ。

僕は必死に頑張ってポーチーとの時間を伸ばそう伸ばそう!とくらいついているが

ポーチー本猫がどう思っているかは、わからない

根本的な話をしてしまえば

「動物に延命なんて概念はない」

もっと言えば

「病気という概念すらない」

はずなんだ。

本来で言えば、それは一つの寿命の形、運命であって、人間は進化しすぎた結果、その運命にすら反旗を翻し、抗うことが可能となってしまった。

だからこそ、苦しむんだ。

「治せたはずなのに」そう思えるから、苦しいんだ

また恋愛ソングのようになってしまうが

「それならいっそ、出会わなければ苦しむことはなかった」

と。

あまりにも厨二くさい哲学的な考えだが、結果的にはそういうことなのだと思う。

しかし、僕は世界一の猫×5と暮らし、SNSで発信などを続けるうちに感じてることがある

「愛してなければ苦しまない」

「愛した分だけ苦しむ」

これに尽きるんだと。

僕は

「猫たちと出会わなければよかった」なんて思ったことは一度もない。

これからもずっと、ない!

この世には「病気になったから捨てる」「懐かないから捨てる」という人間のカスみたいな生き物が数多いる。

そんな輩は「可愛いから」その一つの感情のみで、何の覚悟もないまま動物と暮らしだす。

いや、「飼い出す」

そして身勝手に捨てることも厭わない、邪悪な生き物が実在するんだ。

そんな人間にはこの苦しみはわからないし、経験することもないだろう。

「弱いものは捨てる」「群れの秩序を乱す」それはよもや一周回って、ある種、野生動物的な考え方なのかもしれない、とさえ思う。

しかしそんな理屈は

勝手に家に招き入れた分際の人間が、他の生き物に押し付けていいものではない。

あくまで責任を最後まで、負う。

それが、動物と暮らす僕ら人間の義務なのだ。

何度もブログに書いているが

猫たちは、望んであなたのもとにやってきているわけではない。

僕たちが「勝手に」家に連れ込み、「勝手に」可愛がり「勝手に」幸せにしているだけにすぎない。

だからこそ、僕らはその子らの人生を預かり、いや、もはや奪い!

自分らの人生の一端にしてしまった以上、幸せにしなければいけない義務が、最後まで覚悟を持って共に過ごす覚悟が、必要なんだ。

我々人間は

「勝手に」飼い主になって、「勝手に」悲しんでいる

ただそれだけ。

でも、ただそれだけだからこそ、全力で、その猫たちが最高に幸せになれるように努める義務がある。

身勝手に捨てるな、身勝手に飼うな。責任を負えないなら責任の負える人間に託そう。

話が大きく脱線してしまったが

改めて、この闘病生活で、動物と暮らすことへの覚悟の重要さに改めて気が付いた。

ポーチーの人生は、僕が預かった。

僕が、責任持って、最後の最後まで最高に幸せにする

ポーチー、いつもありがとう

ほんとに大好き大好き大好きだよ

次回

喉の腫瘍に更なる変化が・・・

何か力になりたい!そう思ってくださっている方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」

その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。

・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。

そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。

下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。

投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。

こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。

再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。

治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。

あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。

気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとなんとなく気が楽です笑。

毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。

毎日、読んでね。

このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。

闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。

日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。

遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。

この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。