リンパ腫闘病 PR

愛猫の最期を決める責任と葛藤と最低の飼い主【愛猫のリンパ腫闘病日記170】 

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リンパ腫の再燃、転移、からの腎臓への再燃

からの爆速でデカくなる喉の腫瘍を目の当たりにした猫マスター

「さっきまで、こんなにデカくなかったのに」

こんな、嘘みたいな速度で、デカくなる。それがリンパ腫なんだ。

余命20日と診断された時は「そんな早いわけねーだろ大袈裟なと思った

しかし、それは全く嘘偽りないんだ、と実感してしまった。

未治療だったら、それより短かったかもしれない。

今回の、喉のリンパ腫の成長速度を見たら、20日なんて、甘いこと言ってられないレベルなんだと。1日の中で、こんなにサイズが変わるんだ。

「明日病院連れてこ」「連休明けたら連れてこ」

1週間様子を見たり、数日置いたりしたら、それだけで、取り返しのつかないことになる、そんな病なんだ。

抗がん剤治療を続けていて、どれだけやばい病気なのかをうっすら忘れていたのかもしれない。

そうだ、こんなにも、やばい敵だったんだ

シンプルにゲボ吐きそう

つらい

つらい

つらい

つらい

つらい

もうこれ以外の感情は失ったかもしれない。

寝ることも出来ない

起きても辛い

仕事は手につかない

日々、毎日脚が弱っていくのがわかる。

ああ、なんで、なんでポポロンなんだろう

他の誰がなっても嫌だし、世界のどの猫でも嫌だけど

なんでポポロンなんだろう

まだ9さいだよ

出会って9年

たったの9年

でもね、実は誕生日がもうすぐなんだ

10歳に、なれるかな。

10歳を、元気に迎えてほしいな

そう思ってしまった自分に腹が立つ

・・・・・・

10歳?たったそれだけ?

ほんとは3500兆歳まで一緒にいる約束だったじゃん

それなのに、いつ、目標が、10歳になることになったの?

全然先の未来を想像できなくなってるなんて

ダサい飼い主だ

飼い主の責任

飼い主の責任について僕は度々記事にしている。

今思い返すと偉そうな話だ。

生死に関わる選択をまだしたことのないやつの記事だ。

今読むとそう思う。

今僕は愛猫の「最期」

・・・・・

…いや、あえて綺麗には書かない

「死に方」を選ばなければいけない立場となった。

ここから僕らが選べる道はもう、きっと数少ない。

でも、選ばなければならない

今僕らに残されている選択肢は以下の3つ。

  1. 抗がん剤を限界ギリギリまで続け、痩せ細り、まともに生活ができなくなろうとも、たった数%に賭けて、寛解を目指してとにかく生き続けさせる
  2. 緩和治療、介助を行いながら、よりストレスの少ないものを選び本猫にストレスが限界までない状態で、うまく強制給餌やお薬と付き合いながら1日でも長く生きてもらうのか
  3. もう、全てを辞め、食べないなら、食べさせない。飲もうとしないなら、無理には飲ませない。最期を待つ

わからない正解

「動物らしく生きること」を最優先しこれから起きたことを全て受け入れ、その最期を、責任を持って見守るのか

苦しみながら「生きること」だけを軸に考え、僕の、人間のエゴで

「ただただまだまだ一緒にいたい」

と言うわがままな思いのために抗がん剤を続けるのか

愛猫の思い…は正直わからない…が、身体の状態に合わせて、その時猫に起きたことを全て受け入れていくしかないのか

なんにしても、もう選択肢が、ほぼない。限られた選択肢から選ぶしか、なくなってきた。

最初は

放射線治療、抗がん剤、ステロイド、漢方、などなど、数多あった選択肢が

一つ一つ、道を塞がれていってしまった

飼い主としての覚悟

僕は、治療前

「治療を中断する」「抗がん剤治療を断念する」

という選択をする方が存在することが信じられなかった。

「はあ?愛猫の、大事な家族の人生だぞ?なんだ?諦めるって?数値や症状で致し方なくなら、ともかく、飼い主の気持ちや都合で?なめんなよ、猫ファーストだろうが!」

と思っていた。

しかし今、数ヶ月の戦いで僕は変わってしまった。

考え方も、覚悟も。

このブログを読んでくださっている方はもしかしからこう思うかもしれない

「え?あんなに猫猫言ってたくせに治療諦めるとかクズじゃん?」

と。

僕もそう思う。

でも、抗がん剤に直面した人ならわかるかもしれない。

“不治の病”

治ることのない病気を、治療することの難しさ。

それは医学的な話ではなく、哲学的だが、「生きること」の難しさ。

生きていく、ということ。

生きる、と言うこと。

一生を、どう終えるのか。

その選択権を、決定を、飼い主が選ばなければいけない。

改めて、動物と暮らすと言うのは「責任」なのだ。

命を預かり、その命を、文字通り最後の1秒まで、飼い主の意思で決めなければならないんだ。

それを痛感している。

僕がこんな選択をするなんて数ヶ月前は絶対に想像もつかなかった。

しかし今、僕の目の前には、愛猫の「死に方」の選択の手札が並べられている。

地獄だね。

だって

もう

「生きる」選択肢はないんだ。

最悪の選択肢のみから、選ぶしか、もう、ないんだ

次回

ホスピス

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こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。

再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。

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気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとなんとなく気が楽です笑。

毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。

毎日、読んでね。

このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。

闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。

日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。

遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。

この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。