全てのことを全ての角度からできるだけポーチーに寄り添う形で、考えた。
つもり。
僕は、決断した。
強制給餌はやめる!!!
・・しかし、そう啖呵を切ったはいいが、
空腹状態になると、辛い!!
僕ら人間みたいなくそ雑魚生命体は
一日食べないだけで絶望感に包まれる。
これ、猫は耐えられるのだろうか?
この体の状況で全く食べなくなって、果たして、本当に辛いことにはならないのか?
いろんな心配に駆られた。
そこで、またポーチーと過ごしつつ、、
色々と調べごとをしてみた

色々な論文やネット記事、書籍を見てみた。
そんなに時間があるわけではないので、何でもかんでも網羅的にみたわけではないが・・・
特に面白い情報が目に飛び込んできてとても興味深いことがわかった。
少しだけ、希望というか、心穏やかにいられる、気持ちの余裕のようなものが生まれた。
食べないと脳からモルヒネ見たいのが出る

通常飲まず食わずの状態になると一週間から十日(もっと長い場合もある)で死亡する。
これは飲食しないから死ぬのではなく、あくまで「間も無く死ぬから飲食しなくなる」のであり、死ぬ前には腹も減らず、喉も渇かない。
というもの。
その飲まず食わずの時間で、体の中の栄養分や水を綺麗に使い果たし、ある種枯れ木のようになって死ぬ、というのがいわゆる自然死というらしい。
つまるところ、自然死はイコール餓死である。
そうなれば飢餓と脱水状態のために苦しみながら死ぬことになるのか?というと、そうではなく、以下の理由から安らかに死を迎えることができるのだという。
- 飢餓状態になると脳内にモルヒネのような物質(麻酔のような成分)が分泌され、幸せを感じているような気分になる。
- 脱水状態になると意識レベルが下がりボンヤリとした状態になり、辛いとか苦しい的な感情が出にくくなる
- その後呼吸が充分にできなくなると、体内が酸素不足になり炭酸ガスが増え、酸素不足になると飢餓状態と同じように脳内にモルヒネのような物質が分泌される
→炭酸ガスには麻酔作用があり、痛みや苦しみを感じにくくなる。
これらのことが組み合わさることで、いい気持ちのまま意識レベルが低下し、痛みや不安などのないもうろうとしたまどろみのうちに、死ぬことができるのだという。
死は生きとし生けるものとして、自然の営みである以上、本来、過酷なものであるはずがなく、本来ガンでさえも自然死の場合は痛みはない、という。
このような解説が目に入った。
なるほどだった。
確かに、意外と最期は穏やかだ的な話はなんとなく聞いたことはあったが、こう具体的に表現されているととても納得だ。
そしてこんな情報がずっと自分に入ったのには立派な理由があって、自分の祖父を看取った時も、まさに上記のような状態だった。
色々な病気をしながら、最終的にご飯をやめ、点滴をやめ、最後は水もやめた。
家族が少しだけお水を口に垂らしていいよ、と主治医に言っていただけて、お水をストローであげると少しだけ反応があって、みんなで楽しく穏やかに幸せに、看取った。
まさにあの状況か、そう思うと、なんとなく心穏やかになれた。
逆説的に・・・

病院に入院したり、強制給餌を無理に続けると、、、
飲まず食わずの「最期のための準備状態」に”せっかく”なったのに、すぐに水分や栄養物が注入され、呼吸がだめになるとすぐに酸素吸入がおこなわれる。
そうなると本来穏やかに死を迎えるために発動したはずの身体の機能をわざわざ働かせなくしてしまう。
なるほどである。
入院が間違いだ!とは言わないが、僕の信頼する獣医さんが、ことあるごとにホスピスや、治療中断を打診してくださっていたのは、きっとこう言う意図もあったんだなと。
無理に治そうとするだけが、闘病ではないんだと。
そう感じた。
そして、これをこんな風にいいようには言いたくないが、脳腫瘍がある以上、全身の感覚も既にだいぶ鈍いだろうし、現状のままでも、ふわふわしている感覚があるくらいだと勝手に思っている。
そんな状況だからこそ、もはや絶食状態になっても、むしろ平気なくらい(というのは語弊があると思うが・・・)なのかもしれないと。そう思えた。
「闘病は全てが最適解」
闘病に正解はない。
全てが最善で最適解だ。
それは、間違いない。
そして、その時々に正解があるはずだ。
僕にとって今、この状況での最善の選択

それは
強制給餌をやめることなんだ。
そう思えた。
これが他人から見て間違っていても、何を言われても、関係ない。
これは
僕たちの闘い。
そして
僕たちの人生。
ポーチーという愛しい愛しい命を預かった僕の責任
僕が責任を持って、選択する
そして
僕が、責任を持って
ポーチーを、幸せにする
次回
「愛猫のリンパ腫闘病記最終話」100%の幸せの始まりと終わり
ポーチーに何かしてあげたい。そんな方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」
その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。
・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。
そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。
下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。
投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。
こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。
再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。
治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。
あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。
気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとなんとなく気が楽です笑。
毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。
毎日、読んでね。
このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。
闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。
日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。
遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。
この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。