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ポーチーに変化が【愛猫のリンパ腫闘病日記239】

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世界最大級幸せである新たなる「当たり前」を獲得し、この後に及んでもポーチーから幸せをもらってしまっている僕

ああ、僕が幸せを与えてあげなきゃダメなのに、結局もらってばかりだなあ〜

と、自身の書籍「下僕の恩返し」

にも書いたようなことを思い出しながらポーチーとの時間を過ごす

激しい変化が起きた

喉の腫瘍が爆裂大きくなってからというもの、体調の変化が著しい。

それはそうだろう、喉でさえ見た目でこれだけ変化が出ているということは、脳腫瘍だって、それ相応の大きさの変化があるだろう。

つまり脳を圧迫しているはずだ。

そうなれば、真っ直ぐ歩くことは愚か、手足の麻痺や、平衡感覚がなくなったり、最悪の場合生命に関わる機能を動かすことすら・・。

そうなってしまうまで、どのくらい、かかるんだろう?

そう思っていたが、たかだか数時間から一日程度で、一気に来た。

今までは頭がぐわんぐわん、グルグル、という感じだったが、、

今は5歩くらい歩くと、、、

足を滑らせてとか、うまく足が動かなくて、とかのレベルではない・・・

ぐるぐる回りだし、突如として、真横に倒れてしまう。

見た目上は手足が滑っているように見えなくもないのだが、絨毯の上だろうが、ソファの上だろうが、鏡面だろうがフローリングだろうが、どこでも倒れてしまう。

滑っているのではない、おそらくポーチーの視界はジェットコースターのループのように、グラグラ回っているような感覚なのだろう。

急に「あれ!?今僕逆さになってる!?」と体が勘違いして、猫特有の反射神経を駆使して受け身を取ろうとしてしまっているんだ。

真っ直ぐ立っているのに、突然体が真横になって倒れてしまう。

そして倒れた衝撃で焦り、急いで起きあがろうとする。

しかし視界は揺れていて___

辺りを見まわしパニックになったような表情。

これを歩くたびにやるように。

ネット民は床が〜と言ってきそうなところだが、鏡面だろうが、ラグの上だろうが、布団の上だろうが、ソファだろうが、どこだろうがこうなってしまう

ので、ドーナッツエリザベスカラーをまた付けることに

かわいいね〜
初期ではポンデポポロンだったけど、やっぱりポーチーといえば唐草模様!

なんとなく、ずっとそのイメージなんだ〜。

唐草模様にはさ「生命力や繁栄、長寿を象徴する」って意味があるんだよ〜。

これつけてたら、全部無かったことになって、元気になったりしないかな。なんて思ったりしながら・・・

とりあえず、これをつけておけば、頭を強く打つ心配もないし、心なしか、ある方が重心が安定するのか、ないときよりはバランス取れてるので、一旦つけてみることに。

ああ〜結局こうやってある種過保護になっちゃうよね。

抗がん剤をやめたいま、自身に“やれることがない”から、やってる感出すために、色々したくなっちゃうんだよね。

僕は猫に無駄絡み、過保護にしちゃいそうになった時よく考える考え方がある

「野生だったら」

猫はもともと、もちろん野生動物だ。

野生で生きていたら、病気=寿命といっても過言ではないだろう。

爪が一本抜けるだけで、走れなくなり、歩けなくなれば、その瞬間から弱者になってしまうだろう。

しかし、家猫は違う、飼い主がいれば、痛みをとってあげて、どうにか元に戻れるように、治療をしてあげられる。

猫風邪一つとっても「ただの風邪だから放置して大丈夫」と言えるのは、暖かい室内、適温の環境があるからで、灼熱の屋外、極寒の寒空では、ただの猫風邪だろうと命に余裕で関わってくる。

家猫だから、環境があるから、「意外と大丈夫」なことも、多いのだ。

だからこそ、野良猫の2倍から4倍近く、家猫の方が寿命が長いとされているのだろう。(ご飯とかがでかいらしいですね)

おもちゃで遊ぶ時一つとっても

「野生だったら・・・おそらく鳥を捕まえたくなる環境は・・・」

とか

「野生なら・・・ネズミはこうやって出てきてこうやって隠れるかな・・・」

とか考えながら遊ぶ。僕はリアリティを出すためにネズミの動画を見て勉強するレベルだ。

ご飯とかも知育玩具に入れて、頭を使って取れるようにしたり、ことあるごとに野生感を大事にしている。

僕はこんな感じで「家猫だけど、野良猫なら?」とかを考えることが多いのだが

闘病においてももちろん考えることが多い

「野生なら、治療なんてないんだよな」

「野生なら、こんな時・・・」

でも、結局、自分のしてあげたいことをしてあげてしまう。

THE人間って感じ。

だって、心配なんだもん

野生にはドーナツエリザベスなんてない。

だから、もし野生で脳腫瘍になってしまったら、このまま頭を打って、倒れて、、となってしまうんだろうな。

そう思うと、ポーチー、ほんとに、僕の家に来てくれて、よかったな。って。

あの時、寒空の下で、捨てられていたポーチーが、あのまま外で生きていて、何年も生き延びて、いずれ、こうしてリンパ腫になってしまっていたら、もっと辛かったかな、とか。

逆に、抗がん剤治療なんてしなければ、脳腫瘍じゃなく、腎臓リンパ腫で終わりだったのかな・・・じゃあこれは僕のせいか・・・?

とか、いらんことばっかり考えてる。

話が脱線しまくったが、

とにかく、ポーチーの変化が著しい。激しく変化していく状況。

闘病中であれば焦っただろう。

パニックだろう。

しかし、これは、

僕が決めた終活。

こうなることも覚悟の上。

ただね

はやいよ

はやすぎるよ

でも、ポーチーの最期は僕が作り上げるんだ。

僕との出会いが、最高だったと思ってもらえなきゃ。

みんなとの生活を、もう一回!したい!って思ってもらえるように、僕はやれることをやるんだ

次回

さらにさらに変化が

何か力になりたい!そう思ってくださっている方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」

その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。

・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。

そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。

下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。

投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。

こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。

再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。

治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。

あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。

気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとなんとなく気が楽です笑。

毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。

毎日、読んでね。

このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。

闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。

日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。

遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。

この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。