僕の辞書には存在していないはずだった。
闘病が始まった時から
完全に除外していたはずだった
「安楽死」
その選択肢が僕の中で朧げながら、浮かんだ。
しかし、今回のお話は
「安楽死をさせたい」というものではなく、あくまで、可能性のお話。
葛藤しかない

ポーチーが、苦しんで苦しんで、辛い思いをして
「辛い人生だった」と思いながら、最後を迎えるようなことだけは避けたい。
そう考えたからこそ、浮かんだ可能性だった。
そこで、詳しく、安楽死について先生に伺った。
まず根本的に・・・

家での処置はできない
そりゃそうっちゃそうか、、
薬の投薬だもんね。持ち出すのとか色々制約ありそうだもんね・・。
投げれ的には
病院の診療時間後に来てもらって他の患者さんが誰もいない状態になってから
看護師さん達にも出ていってもらいつつ
僕がポーチーを抱えて
先生が安楽死用の薬剤を投与
眠るように、腕の中であの世へ
という流れらしい。
・・・・そうか
家ではやってもらえないのか。
そうだよね。そっか。
もしかしたら、日本でもやってくれる病院もあるのかな?
海外では家に来てくれてやってくれる獣医さんは多いみたい
でも、仕方ないよね
改めて闘病生活を送る中で、抗がん剤や投薬、そして安楽死に至るまで、日本と海外では考え方が大きく違うんだなと痛感することばかりだ。
海外では不治の病になった際には安楽死を即推奨してくる獣医さんも多いらしい。
「積極的に治療をしようとする」という思考自体がそもそも日本的だと。
海外に住む知人も、そして僕の獣医さんも、そういっていた。
アメリカとかではむしろ、苦しむ前に安楽死させてあげた方がいい!
という考え方の獣医さんの方が多いとか。
闘病前はもちろん、この考え方には違和感があった。
もちろん治療の方針や動物との暮らし方の方針へ他人へいちゃもんをつけたりすることはないのだが、僕は絶対にないな〜とただなんとなく、考えていた。
しかし闘病をたかが数ヶ月やっただけで、ここまで考え方に変化があるとは。

いや、もちろんいまだに安楽死大賛成!とまでいってるわけでもないし、経験したからといって他人に強要する気も、もちろんない。
とにかく、日本では、家に来てもらって安楽死させてもらう、というのは、法律的にダメなのか、先生の方針的にダメで、他の獣医さんであれば可能なのか、動物愛護的に際どいから的なことなのか、、わからない・・・が。
とにかく、少なくとも、安楽死の選択を取ったとしても
僕はこの先生以外に安楽死の処置をして欲しくない。
これだけは、僕の安楽死に対する最大の願い。
だから、もし安楽死をするのであれば、先生のルールに絶対従う。先生の言うことを、聞く。
最大の問題が

家で、みんなで、お別れしたい
我が家にいるみんなで、ポーチーと過ごした、みんなのために建てたこの大切なおうちでポーチーと最後の0.0000001秒まで同じ空気を吸っていたいよ
みんなで触れ合って、お別れしたい
病院だと、入れるの僕だけなんだって。
寂しいよね
わがまま言えばみんなを連れて行ってもいいのかもしれないけど、みんなはリラックスできるわけないし、そんなストレス状況であわあわしてる状態でポーチーも落ち着かないよね。
でも僕の腕の中でってのが確約されてるのは、いいな
自然に最期を、と思ったら、その瞬間が、どうなるかなんて、わからないもん。
ベッドの下かもしれない、階段かも、知らない間に布団で、とか。それを考えると、見届けられるってのは、いいよなあ。
・・・でも
やっぱり

みんな一緒にいたいよな
全員で家族だもん
この家だってさ、みんながいてくれて、僕を進化させてくれたから、建てれたんだから。
最後の瞬間を決められる、と言うメリットのために、みんなの知らないところで、ポーチーも住み慣れたこの場所じゃないところで、さよならなんて、したくないよね
この話を聞いた僕の中で、
安楽死の選択肢が、ほぼ完全にゼロとなった
いや、わからない。わからない。正直、未知だ。
ここから時間が経ち数日後には見るに耐えない辛い状況が待っているかもしれない。
「治療をやめる」という選択が、この後、僕らをどう導くのか、全く想像がつかない。
苦しんで、もがき苦しんで、生きていること自体が辛そうで、幸せがどうとか、綺麗事とか、いってられない日が来てしまうかもしれない。
そうなった時、致し方なく、その選択をしなければならない事態になるかもしれない。
何もわからない
でも、できる限り
このカードは選ばない
そう決めた

ポーチー
ポーチーがこれ以上、苦しむことなんてないように
僕何でもするからね
また、明日
次回
“最期”への道を、最大に幸せにするために
何か力になりたい!そう思ってくださっている方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」
その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。
・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。
そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。
下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。
投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。
こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。
再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。
治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。
あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。
気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとなんとなく気が楽です笑。
毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。
毎日、読んでね。
このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。
闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。
日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。
遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。
この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。