火葬の時間が来てしまった。
ついに。ついに。
本当にお別れの時間だ。
いや、次に出会うための準備だ!
そう強く思う。そう強く祈る。
たった数ヶ月の闘病期間だった。
今日まで、振り返れば一瞬だった。
でも体感は一生分以上あった。
濃い、数ヶ月。大事なポーチー。
まだ、もっと一緒にいたいよ。寂しいよ。
でも、やっと自由になれるね。
リンパ腫のクソ野郎と切り離して、自由気ままに、旅ができるね。
いざ火葬場へ出発
とんでなく寂しかった。
とんでもなく切なかった。
ジャストな表現方法が見当たらないくらい。
不思議な感情。
今からポーチーを火葬しにいく。
この姿のポーチーは、もう、家に戻ってこない。
もちろん、お骨となって、家に帰ってくる。
でも。
もう、二度と、さわれないんだ。
寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい
でも、これで、ポーチーはきっと楽になる!身軽になって、家に帰ってこられるんだ
僕は最後の猫圧を撮影して、家を出ることにした。
いつもなら、今までなら、ポーチーが突進してきて
僕の手にぐーん!!!!

でも今回は特別ルールで僕から迎えにいくよ。
猫圧。たくさんしてくれて、ありがとう。
外に出ると、ふと思った
僕の一つの夢が叶う瞬間でもあった
そうだ。
僕は、猫たちみんなと外で過ごしてみたい!
という夢があって、
でも感染症や事故が怖いから、もちろん外なんて出す気はなくて
そんな時に、ふと思いつきで家の中に庭を作ったんだ。
マンションを買ったあと、自由に改造できるぜ!!って。謎のノリで
めちゃくちゃ自画自賛だが、すごく素敵な部屋ができて
みんなも大好きな部屋になってた

ハンモックに揺られながらポーチーを抱っこするのが日課だった。
そんな
「猫と外に出る」
が叶う瞬間なんだ。

闘病生活で一切面倒の見れなかったボサボサの庭なのが寂しいけど笑、初めて・・・
いや
寒空で出会ったあの日以来の
外。
病院以外で外に出ることなんてないし、キャリーから出すなんてことも絶対しなかったから、
こうやって身一つで一緒に写真を撮れるなんて、また夢を一つ叶えさせてもらっちゃったね。
本当は、外で無尽蔵におにごっこしたいんだけどそれは次会うときにとっておく。
ありがとう。
ありがとう
火葬場に到着
移動中も、馬鹿みたいにずっと話しかけて、せめてこのドライブが長い時間だといいなとか思って
でもやっぱり何やかんや時間はすぐ過ぎてしまって
すぐに到着してしまった。
ついた瞬間、動悸が激しくなった。
初めての火葬ということもあるが、いよいよ、本当に最後になるんだ、と。
この火葬場は僕の知る限りトップクラスに立派な火葬場で、とんでもなく広く大きい。
他の家族の車なども散見されるが、入り口と出口がうまいこと分かれているようで、誰とも出会うことはなく、場内へ入った。
すると、担当者さんがすぐに出てきてくださり、手続き開始となった。
まず、所謂「棺」を渡された。
この「棺」は人間の葬儀の時に使われるようなものではなく、ストレートに言えば
「ダンボール」だ。
燃やすために素材的にもこれでないといけないらしい。
「ダンボールかー。」と少し思いつつも、
「まあ、猫といえばダンボールだし。ポーチーダンボール好きだったからいいか笑」

と割とすんなり受け入れた。寒くないようにとタオルを巻いてきたが、タオルは巻いたままでもいいですよ。と言われ、そのまま「棺」へと入れ、自分で抱え、案内された待合室のような場所へ歩いた。
色々記入事項
名前や年齢、いろんなものをかいた。
10歳。ポポロン。男。
イケメン。運動神経抜群。優しい。おにごっこプロ
と、書きたいことはたくさんあったが、書く欄がないので控えた。
「時間になったらお声がけいたしますので、しばしこの待合室でお待ちください」
そう伝えられ待合室で待つことになった。
「まじ!まだ時間あるの!」
と思った途端、抑えきれない思いが溢れ、気が付けばポーチーを抱いて待っていた。
待合室にはいくつか本などが置かれていて、今僕が書いているこの記事も、闘病記も書籍化されて、こういうところに置いてもらいたいな。とかを、この時考えていた。
もう、火葬場まで来てしまった。後戻り、なんて元々ないんだけど、
絶対に後戻りはできないし、あとは火葬するだけ。
ああ。さっきよりも硬いね。身体。
でも、ずっっっっっと、かわいいね
ちょっとしまいきれてない牙を見ていたら
不意に流れた涙が頬を伝って、ポーチーに落ちた
キラキラキラ〜!
なんてアホのB級SF展開が起きることなんて絶対にあり得なくて
ただ涙がポーチーの体をスーッと蔦って地面に落ちた。
成す全てなく落ちていって、とどまることも、戻ることもなく、ただただ、落ちていく
少し毛に引っかかったりして緩やかになれど、落ちることは変わらなくて
ついに地面に落ちる
この涙を見ていたら闘病期間を思い出してしまった。
運命とか、ほんとクソだな、
と思いながらも
でも、運命があったから、ポーチーと出会えたんだよね
どこかのクソやろうがポーチーを捨てて
偶然出会えたんだ。クソ野郎にもほんの少しは感謝してやるよ。しねえけど
でも、こうして出会えて
でも運命で、10歳でお別れになって
今、ここにいる。
もっと長く一緒に過ごせる運命が良かったなんて思うけど
結局、僕らの最適解は今ここなんだよね。きっと。
数分しか経ってないのに、この時間、めっちゃ長いな。
ああ。軽くなったな。元々5.4kg以上あったその体は
最後には買った時には3kg程度で。
最後のまず食わずの期間もあったから2kg代くらいなんだろうか。
見た目や重さ、いろんなものが変わってしまっても
ポーチーはずっとポーチーのまま
愛おしいポーチー。
長く感じてたい。ポーチーと長く過ごしてたい。
ああ、なんで
なんで、ポーチーが
最後の最後にまた、そう思って悔しくて悔しくて
あああああああ
と、気が付けば謎の雄叫びのようなものを発していた
ポーチー大好きだよ大好きだよ大好きだよ大好きだよ
何度も繰り返していると
コンコン____
「ポポロンくん、お時間です」
ついにその時が来た。
次回
火葬とお骨
「愛猫が余命20日と宣告されました」が書籍化されました

獣医師の服部幸先生監修の元、この闘病記録が書籍化されることになりました。
ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。
僕の心の中全てを書いています。
抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。
そしてなんと・・・表紙のイラストは、なんとあの「はせがわゆうじ」先生。
メンツが豪華すぎる書籍
その主人公はポーチー。
僕たちが過ごしてきた、闘ってきた日々が誰かの救いになることを願って、書籍化しました。
この闘病記録、僕の考え方をブログやSNSで日々発信していく中でたくさんの方が「心が救われた」と伝えてくださりました。
この本が動物病院等へ置かれ、僕と同じ境遇になってしまった方へ少しでも多く届られればと思い、初版印税の一部を寄贈のために使うことを決めました。
僕と愛猫ポポロンの闘病の日々が、たくさんの猫ちゃん、そして飼い主様の心を救う手助けに、少しでもなれば幸いです。
書籍を院内や施設内に置いてもいいよ!という方は、書籍をお送りさせていただきますので、下記フォームからご連絡いただけますと幸いです。
是非「猫飼おうと思ってるんだよね!」と言ってる知人友人様にも、動物と暮らすことの忘れてはならない大切なこととして、この本をお勧めしてみてください。現実を知ることの大事さ、忘れてはならない事実があるんです。
きっと、僕と同じように闘病や、ペットロスで、苦しんでいて、でも、僕とは違って、ずっとずっと暗闇にいるような感覚のままの人もいると思います。
僕を真似しろ!とは言いません。
でも、愛猫との別れを経験したとしても、僕のように受け止めて僕のように過ごして僕のように落ち着いて過ごすことは、誰でもできるんです。
この本にその正解が書いてあるわけじゃない。
でも「考え方」の参考くらいには、なるかもしれない。
そんな気持ちで、作った本です。
過去にたくさん書籍出版していますが、今回ほど思いを込めて書いたものは、当たり前ですが、ありません。
この本が売れたらポーチーが蘇るとか、そんなわけでもないです。
でも、この本のおかげで、どこかの誰かが、愛猫との最期の瞬間や、闘病の過ごし方を、1mmでも有意義で、幸せな時間にしてもらうことができたなら僕とポーチーの闘いに、意味があったのだと、そう思える気がします。
僕らの大切な記録が誰かの役に立ちますように。
世界の猫が、世界の猫と暮らす人々が、もっと幸せでありますように。













