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火葬と最後のお顔【ペットロスに苦しむあなたへVol.5】 

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ついに火葬の時間がやってきてしまった。

待合室の時間が終わってしまった。

ずっと待ってたい・・・とも思わないが・・

とんでもなく気が重くなった。

辛いし悲しいし、でも、終活期間のおかげで、何となく、落ち着いてはいる。

棺に戻したポーチーを自ら運び、その重みをただただ感じている。

ポーチーと外に出るのは病院以外ではまずあり得ない。

だからポーチーとでていって

ポーチーと帰宅する。

それは全猫一緒。

それが当たり前で、それが当然のことだった。

でも今日は・・・・

と、そんなふうに考えたりしながら歩いていた。

別れの時、マイナスな思考、ダメ!ゼッタイ!

違うんだ。

もうこれでお別れになるんじゃない。

姿が少し変わっただけで、お骨と一緒に帰れるんだ。

綺麗なポーチー、リンパ腫も、鼻炎も、花粉症も、何もない、パーフェクトポーチーになって、戻れるんだ。

だから、マイナスな思考で、火葬を迎えちゃダメだ。

愛がいっぱい!ちゅきで溢れた時間でなきゃダメなんだ。

闘病時から何度も、何度も、明るく!とか、暗くならない、寂しがらない、前向きに、と思っては、結局後ろ向きになって。

そんなのの繰り返しで、結局ダメダメな僕。

最後くらい、かっこよくいようぜ

段ボールの中で、タオルに包まれたポーチーを見ながら、歩いていると

担当さん「こちらです」

火葬場についてしまった。

自分の足を恨んだ。もう少しゆっくり歩けよ・・・バカめ・・・と。

それにしても、ものすごく立派な火葬場だ。人間でもなかなか見ないくらい立派だ。

今からここで、ポーチー、火葬されちゃうんだ。

簡単な説明がなされた。

この奥手にある火葬の装置で、焼かれること

台座のようなものがあって、そこでお別れの言葉などを伝えられること

手前に置かれたテーブルで棺の準備を行うこと

待ち時間(焼いてる時間)は数十分ということ

骨だけになったら係の方と一緒に骨壷に納骨していくこと

色々説明された。

そして大好きだったクマさん

大好きなネズミ

を、全匹

この二倍くらい連れて行ったのだが・・・

なんと

布製品は危険とのことで、棺に一緒に入れるのはダメと言われてしまった・・・。

強く燃えてしまったりで危険があるとのこと。

残念・・・。寂しく無いように、と思ったのにな〜。

※これは葬儀場のルールや、地区?のルールなどがあるらしいので事前に「ぬいぐるみ入れてもいいですか?」等の確認を取るようにしましょう。SNSでも一緒にぬいぐるみ入れました、って方は多いので、一度ご確認を。

じゃあ、ポーチー単体で入れなきゃダメなんだ、、

少し寂しいようなそんな気もしたが、よくよく考えたらネズミとか全部燃えてなくなったら、思い出のもの減っちゃうしな。とかも思うように。

また会える時に、一緒にネズミで遊べるように、持っておこう。

あとは写真や、お花、手紙などは一緒に入れてもいいようだ。

早速棺の準備を始める

段ボール棺の中のポーチーを撫でながら、棺を準備する。

お花は・・・出発の直前に、両親がポーチーにと花束を持ってきてくれていた。

僕はお花を買う余裕すらなくて、ただ段ボールに入れて終わりとなってしまうところだった。

おかげで、可愛いお花を添えることができた。

にしてはボリュームが少なすぎるな・・・?と思っていると火葬場の係の方が、

「こちらのお花を自由にお使いください」

と大量のお花を持ってきてくださった。

これは一般の葬儀場ではどうかわからないが、僕のようにてんやわんわしてこの時を迎えてしまう人もいるだろう、お花をその場でいただけるのはとても助かった。

ポーチーに似合うお花を選んで

ハサミで少しカットして、入れてあげた。

少しずつ、ダンボールが棺っぽくなってきた。そんな気がした。

そして大好きだったおやつと

最後の最後まで、頑張って食べていたご飯、おやつを一緒に入れた。

闘病時に、何も食べない期間でもこれだけはなぜか食べたり舐めたりしていたので、現在当病等で食の細い子がいたら、是非あげてみてほしい。

きっと美味しかったよね。

きっと、もっと食べたかったよね。

何でも過度にやりすぎてしまう猫マスターはこの時お菓子の小袋を100袋くらい入れようとして怒られたのは内緒だ。

完成した棺

※亡骸が写ります。苦手な方はご注意ください。

ああ。月並みな言葉しか出てこないよ

寝てるみたいだ。

起きそうだ

猫圧しそうだ

でも

もう、動かない。

寂しい。

お花を一つ一つ、おやつを一つ一つ、入れていくのが、まるでカウントダウンのようで

一輪入れては「大好きだよ」お菓子を入れては「今食う?いらん?」

ずっと話しかけ続けてた。

触れるだけ触って。

撫でて

でも、動かなくて。

当たり前のことなのに、やっぱり悲しくて。

準備ができたら、棺の蓋を閉める。

この蓋を閉めたら、もう。二度と

この可愛すぎるプリチーちゅきちゅきフェイスは見られない。

目に焼き付けろ。魂に刻め。そんなふうに思っていた。

そして、棺を閉めようと思ったその時に、ふと思った

「最後に。この全ての元凶である、リンパ腫。触っておこう」

喉にできた腫瘍がとても大きくて、触るとゴリゴリでわかる。

だから、最後の最後に、

こいつのせいで、ポーチーがこうなったんだ。という思いと

焼き切った後、完全に消えているのを、そこには存在していないことを確認するために

最後に、触った。

ある

やっぱり。まだある

硬い。大きい。

なんでだよ

ポーチーなくなってもなお、その体に居続けるなんて。クソすぎる。

ほんとは握りつぶしたいくらい。

でも、これはポーチーの身体。そんなことはしない。

最後に触ったのがポーチーじゃなくてリンパ腫だなんて、嫌だから

最後にまた、ポーチーを撫でた。

がっしりした背中。

なんげえしっぽ。

かっけえ足。

はみ出ちゃってる牙。

可愛すぎるお顔。

全てを触って

一呼吸してから

棺を閉じた。

脳裏に刻まれたシーン

棺を閉じる瞬間の記憶は一生消えることはない。

ただの段ボール。ただの棺。

言うなれば、ただの蓋。

でも

そのたった一枚のペラペラの段ボール一枚が

僕らの生活の終わりを告げる。

締め切った今。もう、会えないんだ。

心臓が、1/10くらいに縮んだようだった。締め付けられるなんてもんじゃない。

ここが、僕たちの、おにごっこの終着点なのか。

綺麗事をいくら並べても

やはり、悲しみが勝ってしまうんだ

辛い。悲しい。

でも

ポーチー

必ず。また会うんだよ。

きっと、じゃない。必ず、だよ

火葬台へ載せる

係の方が火葬の機械の前にポーチーの入った棺を運んでいく。

あああああ、行かないで、遠くへ、行かないで

そう言いたい気持ちを抑え、つい身体中に力が入った。

ここの中で何度も語りかけた

響介
響介
ポーチーポーチー!これ自由になれるよ。これで身軽になれるよ。これで次に出会う準備が完了するよ。また会おうまた会おう。絶対会おう。大好き。ちゅきちゅき!らぶ!そしてちゅき!!!

心の中で連呼していると・・・

係の方「それでは、よろしいですか?」

響介
響介
ちゅき・・・あっ、はい

ちょっとだけ心の声が漏れてしまった。

タイミングが悪いぜ?

そして台車のようなものを火葬の機械の中へ押し込み

火葬のための分厚い鉄のドアが

閉められた。

ガシャン__

もう

二度と

その顔を拝めない

もう

二度と

その手に触れられない

もう

二度と

抱きしめられない

でも

必ず、また抱きしめられる日が来る

ありがとう。ポーチー。

愛してる

火葬のスイッチが入れられ、炎の音が鳴り響いた

次回

納骨とまだまだ知らなかったポーチーの最強可愛い

【聴く募金】闘病記を歌った曲「ずっとおにのターン」

実はポーチーが亡くなったその日に

「ずっとおにのターン」

と言うタイトルの楽曲をポーチーを膝に乗せていそいそと作りました。

なんとびっくり

その楽曲、配信開始しております。

Apple MusicやSpotify等、割とどこからでも聞けるようになっています。

こちらの楽曲のサブスク売り上げの一部を、猫や動物関連の施設や、研究チーム的なものに、寄付いたします。(詳細は後述)

なんとなく楽曲タイトルでお分かりの通り

この闘病記の、僕たちの物語の言うなればエンディングテーマのような楽曲です。

歌詞等はこちらから読めます。

聴いた方、是非Xとかインスタで、拡散したり感想教えてください。

僕とポーチーの思い出だもん。

楽しくなきゃね。

僕たちはいつだってスキップするように、おにごっこやパトロールをしてたんだ。

今だって、きっとみんなとお散歩してる。

ちょっと苦手なジャンルでプロらしくない拙い作りですが笑、またそれも逆にご愛嬌で。

楽曲解説や詳細はまた後日投稿しますね。

寄付について

この「ずっとおにのターン」のサブスク配信等の印税(配信の分配)の一部とそことは別の僕自身の気持ちを乗せて、保護猫団体、またはどこかの動物医療等の研究チームその他、、良さげな箇所に寄付致します。

たくさん聴いていただければたくさん寄付できるようになると思います。

“聴く募金

皆様がお金を払った分だけ寄付されるのではなく、聴いて頂くだけで寄付になります。

投げ銭をそのままどこかに、ではなく、一応副業で(とネタで言ってますが本業です笑)音楽を生業としている身として、考えうる最大のお返しかなと思い、こう言った対応にさせていただくことにしました。

一部と言っているのは、ケチとかではなく、制作料や配信手数料、諸々の税金、そしてこれは身勝手と言われてしまうかもですが、我が家の猫たちもたっっっっっっっっっっくさん頑張ったので、我が家の猫たちのために、そして猫貯金にも一部回させてください・・・

是非聴いていただけたら幸いです。

つきましては、ここに募金すると良いぞ!みたいなのがあったら是非とも!リプください。

(※印税の支払いタイミングは毎月とかではないため、随時その時々に必要な、良さげなところへ寄付して行ければいいなと思っております。)

なお申し訳ありませんが、今回は個人のクラファン等への寄付は行いませんので

「僕に私に!」と言う連絡はご遠慮いただけますと幸いです。(お金の話すると必ずきますので、、)

ここまで読んでくださって、日々応援してくださった皆様への、一応本業が音楽家である僕らしく、心のこもったお返し?になればなと。

昨日の今日ですが

現状JAHAというところから寄付かなあ?と思っております。

非力でも微力でも世の中、世の猫たちへの恩返しになればと思います。

ポーチーとの最期の時間を凝縮した楽曲、二人で、いや、みんなで作った楽曲で、少しでも世の中のためになって、ポーチーはまた世界のヒーローになるんだ〜

基本何かない限りはずっと楽曲の配信は継続しておきますので、お家の猫ちゃんたちと楽しみながら聴いて楽しんでもらえればと思います。イントロはぜひ自分のお家の家族の名前にしてください笑。

曲使って動画作ったり、自由にしてもらっていいので、楽しく聴いてくださいね。

曲がりなりにも作家として生きている僕なりの、お返しです。

本当に、本当に

ありがとうございました。

これからも

リュック、ソラ、ニック、ピーボ

そして

ポポロン

を、どうぞよろしくお願いします。

みんなで、家族なんです!愛してるぜ!みんな!!!

ありがとう、ポーチー

出会ってくれて

幸せにしてくれて

たくさんの人を幸せにしてくれて

そしてここから、きっと、たくさんの人を、救うんだよ

ありがとう

ちゅきちゅきだよ

次に会うそのときまで「ずっとおにのターン」で待ってる

響介

「愛猫が余命20日と宣告されました」が書籍化されました

獣医師の服部幸先生監修の元、この闘病記録が書籍化されることになりました。

ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。

僕の心の中全てを書いています。

抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。

そしてなんと・・・表紙のイラストは、なんとあの「はせがわゆうじ」先生。

メンツが豪華すぎる書籍

その主人公はポーチー。

僕たちが過ごしてきた、闘ってきた日々が誰かの救いになることを願って、書籍化しました。

この闘病記録、僕の考え方をブログやSNSで日々発信していく中でたくさんの方が「心が救われた」と伝えてくださりました。

この本が動物病院等へ置かれ、僕と同じ境遇になってしまった方へ少しでも多く届られればと思い、初版印税の一部を寄贈のために使うことを決めました。

僕と愛猫ポポロンの闘病の日々が、たくさんの猫ちゃん、そして飼い主様の心を救う手助けに、少しでもなれば幸いです。

書籍を院内や施設内に置いてもいいよ!という方は、書籍をお送りさせていただきますので、下記フォームからご連絡いただけますと幸いです。

是非「猫飼おうと思ってるんだよね!」と言ってる知人友人様にも、動物と暮らすことの忘れてはならない大切なこととして、この本をお勧めしてみてください。現実を知ることの大事さ、忘れてはならない事実があるんです。

きっと、僕と同じように闘病や、ペットロスで、苦しんでいて、でも、僕とは違って、ずっとずっと暗闇にいるような感覚のままの人もいると思います。

僕を真似しろ!とは言いません。

でも、愛猫との別れを経験したとしても、僕のように受け止めて僕のように過ごして僕のように落ち着いて過ごすことは、誰でもできるんです。

この本にその正解が書いてあるわけじゃない。

でも「考え方」の参考くらいには、なるかもしれない。

そんな気持ちで、作った本です。

過去にたくさん書籍出版していますが、今回ほど思いを込めて書いたものは、当たり前ですが、ありません。

この本が売れたらポーチーが蘇るとか、そんなわけでもないです。

でも、この本のおかげで、どこかの誰かが、愛猫との最期の瞬間や、闘病の過ごし方を、1mmでも有意義で、幸せな時間にしてもらうことができたなら僕とポーチーの闘いに、意味があったのだと、そう思える気がします。

僕らの大切な記録が誰かの役に立ちますように。

世界の猫が、世界の猫と暮らす人々が、もっと幸せでありますように。