リンパ腫闘病 PR

リンパ腫は、それを宣告された日がただただ「余命宣告」なのではない

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愛猫ポーチーとのリンパ腫の闘病をして、改めて「余命宣告」と言うものを深く考えた。

心を抉る、その言葉。

しかし、その言葉の額面通りではない意味に、最近気がついたんです。

余命宣告とは

その日が

「自分が愛してきたありのままの猫の亡くなる日」

なんだと。

僕は、闘病の間にそう思いました。

そしてそれは、ほぼほぼ、正しかったと今でも思います。

治療=元の生活に戻るではない。

リンパ腫の治療、抗がん剤は、治すための治療ではない。

あくまで、延命だ。

延命が意味するのは文字通り命を伸ばすこと。

その命を伸ばす行為は「元に戻る」とは程遠いものである。

抗がん剤治療をすると言うことは、

もう、あの日のように走ることもないかもしれない。

食べることも、ないかもしれない。

5kgに戻ることも、鳴いてくれることも、しつこいくらいに付き纏ってくるのも

宣告された日にその全てを置いていく、そんな覚悟が必要だと、そう思いました。

しかし、治療の中で、ご飯を食べる日もある。

回復することだって、ある。寛解だって、ある。

しかしそれら全てはただただ「ラッキー」で

そもそも、野生で癌やリンパ腫になったとして、抗がん剤なんてものは存在しないわけで、そうなった時が

「寿命」なのです。

こんな言い方は本当はしたくないのですが

そんな「運命」もしかしたら「神様の決めた期限」

に争い、生かす行為が延命であり、極論を言えば

「本来は存在し得なかった時間」なのです。

そんな「生きる時間」を

お金と、自分の精神、そして猫の苦しみ、全てを背負う覚悟で、進めるのが、延命治療なんです。

言い方は悪いかもしれない。

でも、闘病を覚悟するなんてのは口では簡単に言えるが、本当に生半可なものではない。

ただ薬をあげるだけ、ご飯をあげるだけ、通院するだけ

違う

小さな命の行く末の全てをこの手で決めることになる。

食べてくれなければ、強制給餌をすることになる。苦しむ猫の感情を無視して、”自分が”「生きて欲しいから」口にご飯を放り込む。

僕は、毎日強制給餌をしていく中で、突然思考がバグり

「僕は、なんで今、猫を虐待して、無理やり生かしてるんだろうか」

とまで思っていた。

文字面は過剰に見えるかもしれないが、ある種事実だ。

嫌がる猫に嫌なことをして、本来寿命で楽に、スッと天命を全うできたかもしれないのを、飼い主のエゴで、わがままで、生かしている。

それなのに、さらに追い打ちをかけるようにご飯をあげたり薬をあげたり、副作用のある抗がん剤を打って、吐き気が続いたり。

自分に置き換えたら拷問じゃ、、?と毎日毎日毎日ぐるぐるぐるぐる考えていた。

「でも、生きてほしい」「でも、治るかもしれない」「もっと、一緒にいたい」「まだ一緒にいたい」「もっともっともっともっと」

も。

責任と覚悟を持つ

「もう、今まで通りの愛猫とは、過ごせない」と覚悟を持つことが一つ、折れない心、気持ちを持てる一つのきっかけになれると、僕は思う。

と言うのも、僕は抗がん剤治療を進めていく中で、心境がどんどん変わっていった。

約半年間、愛猫が頑張って、生きてくれた。

始まりの日記では

「絶対治すからなー!ぶっ飛ばす!クソリンパ腫!」

みたいなノリだったのに

1週間ごとに、どんどん心境が変化していく。

なんでなんでなんで

どうしてどうしてどうして

そして

ごめんごめんごめん

でもでもでも

プラスな言動が、思考が、どんどん減っていく。

介護に耐えきれず発狂した日も、何日かあった。

そんな時に、この記事の思考に辿り着いたんです。

「ああ、ポポロンは、あの日、本当はもうこの世からいなくなっていたんだ」と

悲しい、そんなふうに思いたくない、それは分かります。

しかし、現実問題、きっと、そうなんです。半分は。

そうすることで、最後まで無理やりご飯を無理やり食べさせ続けるのか?

効かなくなってきた抗がん剤を副作用があるにもかかわらずいつまでも打ち続けるのか?

そんな、ただ苦しいだけの毎日を送らせないように、シャンとした判断ができるようになる。

僕ははっきりと言いたい。

治療を猫のためと思うな。

延命治療は、人間のためだ。

人間のエゴで、わがままで、

「もっと、この子と一緒にいたい」

そんな僕たちの最恐最悪のわがままが、延命治療なんです。

不治の病に抗うと言うのは、そう言う覚悟なんだ、と。

お医者さんからも、何度も言われました。

「治るものではないから、寛解しても、いつか、腫瘍は戻ってくる。いつか効かなくなる。その日が来ることを忘れないで」

アホでポジティブな僕には、当時とても重い言葉だった。

しかし全てを過ごした今の僕なら少しはわかる。

一度寛解した時、余命宣告された時よりも泣いた。

「また、この子と過ごせる」

しかし、蓋を開けば、寛解はたったの数日間だけだった。

治療中も

0.1kg体重が増えれば飛んで跳ねて大喜び。

自発的にたった2粒ご飯を食べただけで動画を撮り抱きしめて夜通しパーティ

もう、そんなぬか喜びをすればするほど、辛いのだ。

いや、しかし、喜べ。

猫に無理をさせてるのに喜ばないなんて、失礼。

しかし「前みたいに戻る」ことは、ない。

いや、厳密にはある、あるが、ない!と、言い聞かせて生きなければいけないんだ。

いつか来る、その日に自分の心が死んでしまわないように。

笑顔で、愛してるよ、ありがとう、と伝えられるように。

覚悟と、勇気と、そして最大の愛情を持って取り組めるように、そう、思ってほしい。

この記事が心を病む人の助けに、少しでもなれば嬉しい。

お別れは悲しい。

愛していればいるほど、人生で1番辛い経験になる。

しかし、リンパ腫や癌に限っては、実はもう、余命宣告の時点で、とっくにお別れ、してるんです。本当はね。

その先から僕らが過ごす、治療の日々は、猫が僕たちの最後のわがままに全力で答えてくれた「ボーナスタイム」(ちょっと語弊があるかもしれませんが)

ありがたく、受け取ろう。

僕らの愛が、天国まできちんと、届くように。

そのためには飼い主の心が元気でなければダメなんです。

「元気にならなきゃ」「泣いちゃダメ」は無理。

辛くて当たり前、泣いて当たり前、でも、今あなたの手で苦しむ愛猫はあなたのわがままに応えて、頑張って生きてくれている。

それなのに、自分が辛い、はわがまま過ぎますよ。(個人の考えです)

僕は、自分にそう言い聞かせました。

出会ったその日から、住む家も勝手に決めて、ご飯もおもちゃも、兄弟もぜーーーんぶ僕のわがまま。

僕のわがままに、最後の最後まで付き合ってくれてありがとう。

僕たちは、猫と暮らす限り、一生かけて猫にわがままを言い続けているんです。

最期くらい「苦しみから解き放たれたい」猫のわがままにも、その時が来たら、応えてあげれたらいいな。

久々の闘病記関連の記事でした。

終活期の記事がとても読まれているようです。

あ〜。ポーチー。会いたいな


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ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。

僕の心の中全てを書いています。

抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。

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