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響介として、エゴを通す決断【愛猫との幸せすぎる終活記10コマ目】

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ポーチーとのギタータイムを失っていたことを突然思い出した僕。

そうだった

僕らにはこの時間が当たり前に存在してたんだ。

最も”当たり前”なことを忘れてた

この”当たり前”を忘れたまま、やらないまま、最期の瞬間を迎えたら

僕も、きっと、ポーチーも、後悔するんじゃないだろうか

先生には止められてる

それに、正直

怖い。

今のポーチーに、“音”で何かをしようとするのは・・・

“ころ”すことになりかねない

今のポーチーは、五感のほとんどがまともに機能していない。

体ももう、まともに動かせない。

そんな状態で、大きな音や衝撃を受けると、ショック死の可能性があるらしい、と。そう注意を受けていた。

そんな状態のポーチーに

普通ギター弾くか?

万が一にも、それが引き金になって、ころしてしまうような結果になったら、僕は、耐えられるのか?

葛藤だ

“当たり前”をやりたい。

正直、ただただそれだけだ。僕が、勝手に、やりたい。それだけだ。

人間のエゴすぎる。

ギターがきっかけで、びっくりさせてしまって、ポーチーが最期を迎えたら?

でも二人の、一番大事な時間を、体感させることもできず、忘れたまま最期を迎えたら?

どっちも、嫌だ。

人間すぎる。自分は。最低の人間すぎる。

わがまますぎる。

でも、この数日間

何度も彷徨って、何度も戻ってきてくれてる。

「死なないんかい!」と、不謹慎なツッコミを入れまくっていたが、内心今もこうして一緒に過ごせていることが、嬉しくてたまらない。

のと同時に、もしかして、ポーチーの中で何か心残りがあるんじゃなかろうか?

そう思う自分もいた。

それが、

僕のギターだ!!

と、そんなかっこいいことは言えない。

大事な時間は、他の猫たちとの時間かもしれないし、もっと他のことかもしれない。

それでも、僕たちの人生の中で、最も僕とポーチーらしいと言ったら、

おにごっこと、ギターなんだ。

おにごっこは。

物理的には、もう、きっとできない。

いや、闘病という名の鬼ごっこを、してる最中かもしれんな。と毎日思う。

でも、ギターをただ聴かせるだけならさ

僕、できる

覚悟を決めた

決めた。

僕は、ポーチーを”あや”める覚悟で、ギターを弾く。

僕の手で、最期を迎えさせてしまったとしても後悔はしない。

責任を負う。

「ポーチーもそう思ってくれてるさ」

なんてエゴは絶対に発動しない。

ポーチーは多分、何も考えてない笑!

とにかく

僕が、勝手に、ポーチーの横で、ギターを弾く。

それだけだ。

無論爆音で弾いたりはしないよ。

ポーチーが一番心地よく聴いてくれてたアコースティックギター。

小さいボディサイズで、エレアコ(スピーカーに繋げられるギター)なので、スピーカーに繋がなければ音量も小さい。

その名もホワイトペンギン〜!

ポーチーとギターを弾くときに、音が大きくならなくて、でも気持ちよく弾けるために、家を建てた後、すぐに、買ったんだ。家に合わせて白。

このギターで、最期までの時間にほんの少しの“当たり前”を。取り戻せるように。

何を決めて、なんの曲を、とかじゃない

ただいつもの通り。

響介
響介
あ〜曲できね〜

って言いながら、おんなじコードをずーっと弾いてたり、手ぐせのフレーズ永遠弾いてたり、ポーチーの頭を触ったり(所要時間4時間)するだけ

たった、それだけ

小さく優しく弾くね。

あ、でも今耳遠いのかな?

じゃあ爆音がいいかな?(絶対やめろ)

いいんだ、聴こえなくたって。

音ってさ

音はただの空気の振動

音、それは、実際にはただの空気の振動だ。

たとえばラの音(440Hz)というのは1秒間に空気の振動が440回起きた時の音の高さ、だ。

全ての音階が「何回振動したか」で決まっているに過ぎない。これはご存じの方も多いだろう。

輪ゴムを指にかけて、弾くと音が鳴る。引っ張って弾くと高くなり、緩めて弾くと低くなる。

ギターも、ピアノも、同じ仕組みだ。

つまり、空気が振動し、それが届いた時にいい感じに混ざり合ったりなんやしてるのが、音楽となっているだけで

音はただの空気の振動。

つまり、聴こえなくても、きっと、感じられるはずなんだ。

僕は「音楽の可能性」とかそういうのには別に興味はない。

ただの空気の振動。

でも、その空気の振動の中に、”当たり前”が存在してるなら、いくらでも空気振動させるよ。ってだけ。

だから。今日だけ、

いや、

今日が最後になってもいい。

きっと、唯一残った、僕らの”当たり前”

わがままばっかり、ごめん

次回

唯一残った、僕らの”当たり前”

何か力になりたい!そう思ってくださっている方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」

その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。

・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。

そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。

下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。

投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。

こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。

再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。

治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。

あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。

気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとな嬉しいです。note的なね・・・。

毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。

毎日、読んでね。

このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。

闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。

日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。

遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。

この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。