火葬を終え、自宅へ帰宅する。
残された猫たちは、いったいどんな反応をするんだ・・・
そんな心配はすぐ消し飛ぶほどに、意外にも「理解」している様子だった。
闘病の時期から、みんなの動きは少しずつ変わっていた。
きっと、僕と時を同じくして、いろんなことを猫なりに感じて、考えていたのかもしれない。
やっぱり、猫は強い

リュックは完全に理解しているように見える。
何なら一周回って、この状況の最適解をすでに見つけている感すらある。
もっと言ったら、ここでさらに何かあったら僕が気絶しそうなのを理解していて、僕のためにも冷静でいてくれてるのでは?
とすら思う。
ソラは過剰グルーミングがあるくらいなので、変化に気がついてるし、想像以上に、ショックが大きいのかもしれない。

そのショックは
「帰ってきてない」ことに他するものなのか
「もうこの世にはいない」ということを理解してしまっているからなのか。
ポーチーとは表向き、仲良くはなかった、そう思ってたのに、きっとそんなことなかったんだよね。
一番仲良しだったニック。帰宅後は全然気がついてなくて。

骨壷もスルー。
寝る時も普通だ。
あれだけ一緒にくっついて寝てたのにな。
意外とドライなのか、そうでもないのか。
しかし、ニックは後日大きな変化が起きてしまった。
後日書いていきます。
ピーボは・・・

何も変わらん。
もともとテレビの上で寝てることが多くて、今もそう。
寝る時はフラッとベッドに来て、気がついたら寝てる。
それはポーチー帰宅後も大差なかった。
でも、、ボコたんも、のちに大きな変化が起きた。
僕が今やるべきは、残されたみんなを守ること。
みんなの心も、きっと辛いんだ。
今、愛猫はどこに

愛猫や愛犬、その他共に暮らす大事な動物たちとの別れを経験した人の多くはこう考えるだろう
「今、あの子はどこにいるんだろう?」
僕も、ポーチーと最後に手を握り合って、お別れしたあの瞬間から、ずっと考えている。

今、僕は僕なりの答えを持って、生きていくことで、すごく安定した精神状態をキープできている。
僕はポーチーとお別れをしたあの日から
「ポーチーは、家のどこかにはいる。ただ、僕がアホで見つけられていないだけ」
そう考えている。
もとより猫は隠れるのが上手で、病院の時など、気がつけばいない。探してもなかなか見つからない。

きっとそんな感じで、“偶然”僕の目に映っていないだけで、毛布の中だったり、階段の下だったり、どこかしらに隠れているだけなんじゃないか。
だから存在自体はそこにはあるんじゃないか。
そう思うことにしている。
これは「死」を受け入れられない思考で、正直とてもいいアイデア!ではない。
一般的にペットロスの本などでよく言われているのは「死を受け入れて認めることが大事」という方向が多い。
しかしね、僕が代弁しよう
無理なもんは無理なんだよ
だっていたんだもん。
ついさっきまで。ここに。いや、今もさ。
ペットロスに苦しむ僕らはきっとそんな単純に解決できる感覚で家族と接していないんだ。
いや、逆かも。
「もっと一緒にいたかった」
たったこれだけの感情しか考えられない、ある種超人的に単純な人間のはず。
一生引きづって苦しむくらいなら
「きっとまだ家のどこかにいるんだ。あいつはかくれんぼが得意だったから」くらいでいいんだ。と。
ポーチーはマジで日中どこで過ごしているのかわからないことが多いくらい居場所が多い子だった。
だから、マジで全然信ぴょう性はある。
だってさ、我々人間は、家事なり仕事なりなんなりで、一日24時間あるうちの何時間猫と過ごしてる?
僕?僕は23時間40分くらいかな・・・
という冗談は置いておいて笑、実際真面目に働いて、真面目に家のことをやって、しっかり寝ていたら
8時間働いて、移動で往復1時間使って、ご飯関連で1〜2時間使って、その他家事に1〜2時間使って、お風呂で30分から1時間、しっかり睡眠を8時間摂ると
21〜22時間くらいは一日で何かしらに使ってしまっているわけだ。
これで外食やらお友達との何か、などやっていると、ご飯の時に横にいるとか、寝る前のまったりタイムとか少しの時間しか一緒にいない。
裏を返せば20時間くらいは猫が何やってるかもよくわからんわけです。(カメラつけてるのでわかるっちゃわかるけども)
それを、人間はわがままな生き物だから
亡くなった途端に
「24時間その存在を感じない・・・悲しい・・・」
と言い出すわけです。(非難しているわけではありませんよ!!!)
いや、働いてる時外にいるときは元々存在感じてねーだろ!と。(僕は感じてますけどドヤア)
そんな語気を強める必要はありませんが、実際元々猫と100%同じ時間を過ごしている方はかなり少ないと思います。
自宅仕事の僕ですら(と言ってもスタジオがあり猫出入り禁止なのでほぼ外と同じです)
みんなの動向を知らない時間も多い。
一日中一緒にいた方にはこの考え方は考えずらいかもしれませんが、
一日少しずつでも猫といない時間があった方なら、この感覚、少しはわかっていただけるかも。
“偶然、猫と会えていないのが毎日続いている”
僕はある種そう考えることで、自分を保てています。
そしてそれは同時に、姿が見えようが、見えなかろうが、
“そこに愛猫がいてくれてる”と思える力になります
いなくなったと考えるのも、家のどこかにいるかも!と考えるのも、どちらも辛いんです
でも”姿は見えなくても、どこかにいてくれている”そう思えるための一歩として、僕はこの考え方で生きています。
だから毎日毛布を捲るときは
「いるかな・・いるかな・・いるかな・・?ババーン!!!いなーーい!!残念!!!!」
とかやってます。怖いです。
階段降りる時も階段の下のポーチースペースを覗きながら
「俺の足音・・・聞こえてる・・・?聞こえてるかな・・・?まさか飛び出てきちゃったりしてええ!!!!!!って!こなーいい!!!!」
とかやってます。怖いです
僕にとっては、ここにいる。でも実際にいる、というのとはもちろん違くて。
目にはうつらないけど、存在がそこにあると、感じていたいんです。
そんなある種独特な思考を持ち合わせてる(多分)僕なりの生き方や考え方、覚悟とはまた一つ違った思考を手前味噌ではあるかもしれないが、そんな考え方一つ、見方一つで、誰かが救われたりしたら嬉しいな、そんなふうに思います。
是非ともこれからもお読みいただければ幸いです。
次回
闘病生活の跡。ひと段落と同時に心に襲いかかる現実。猫マスターの心
【聴く募金】闘病記を歌った曲「ずっとおにのターン」

実はポーチーが亡くなったその日に
「ずっとおにのターン」
と言うタイトルの楽曲をポーチーを膝に乗せていそいそと作りました。
Apple MusicやSpotify等、割とどこからでも聞けるようになっています。
こちらの楽曲のサブスク売り上げの一部を、猫や動物関連の施設や、研究チーム的なものに、寄付いたします。(詳細は後述)
なんとなく楽曲タイトルでお分かりの通り
この闘病記の、僕たちの物語の言うなればエンディングテーマのような楽曲です。
歌詞等はこちらから読めます。
聴いた方、是非Xとかインスタで、拡散したり感想教えてください。
僕とポーチーの思い出だもん。
楽しくなきゃね。
僕たちはいつだってスキップするように、おにごっこやパトロールをしてたんだ。
今だって、きっとみんなとお散歩してる。
ちょっと苦手なジャンルでプロらしくない拙い作りですが笑、またそれも逆にご愛嬌で。
楽曲解説や詳細はまた後日投稿しますね。
寄付について
この「ずっとおにのターン」のサブスク配信等の印税(配信の分配)の一部とそことは別の僕自身の気持ちを乗せて、保護猫団体、またはどこかの動物医療等の研究チームその他、、良さげな箇所に寄付致します。
たくさん聴いていただければたくさん寄付できるようになると思います。
“聴く募金“
皆様がお金を払った分だけ寄付されるのではなく、聴いて頂くだけで寄付になります。
投げ銭をそのままどこかに、ではなく、一応副業で(とネタで言ってますが本業です笑)音楽を生業としている身として、考えうる最大のお返しかなと思い、こう言った対応にさせていただくことにしました。
一部と言っているのは、ケチとかではなく、制作料や配信手数料、諸々の税金、そしてこれは身勝手と言われてしまうかもですが、我が家の猫たちもたっっっっっっっっっっくさん頑張ったので、我が家の猫たちのために、そして猫貯金にも一部回させてください・・・
是非聴いていただけたら幸いです。
つきましては、ここに募金すると良いぞ!みたいなのがあったら是非とも!リプください。
(※印税の支払いタイミングは毎月とかではないため、随時その時々に必要な、良さげなところへ寄付して行ければいいなと思っております。)
なお申し訳ありませんが、今回は個人のクラファン等への寄付は行いませんので
「僕に私に!」と言う連絡はご遠慮いただけますと幸いです。(お金の話すると必ずきますので、、)
ここまで読んでくださって、日々応援してくださった皆様への、一応本業が音楽家である僕らしく、心のこもったお返し?になればなと。
昨日の今日ですが
現状JAHAというところから寄付かなあ?と思っております。
非力でも微力でも世の中、世の猫たちへの恩返しになればと思います。
ポーチーとの最期の時間を凝縮した楽曲、二人で、いや、みんなで作った楽曲で、少しでも世の中のためになって、ポーチーはまた世界のヒーローになるんだ〜
基本何かない限りはずっと楽曲の配信は継続しておきますので、お家の猫ちゃんたちと楽しみながら聴いて楽しんでもらえればと思います。イントロはぜひ自分のお家の家族の名前にしてください笑。
曲使って動画作ったり、自由にしてもらっていいので、楽しく聴いてくださいね。
曲がりなりにも作家として生きている僕なりの、お返しです。
「愛猫が余命20日と宣告されました」が書籍化されました

獣医師の服部幸先生監修の元、この闘病記録が書籍化されることになりました。
ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。
僕の心の中全てを書いています。
抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。
そしてなんと・・・表紙のイラストは、なんとあの「はせがわゆうじ」先生。
メンツが豪華すぎる書籍
その主人公はポーチー。
僕たちが過ごしてきた、闘ってきた日々が誰かの救いになることを願って、書籍化しました。
この闘病記録、僕の考え方をブログやSNSで日々発信していく中でたくさんの方が「心が救われた」と伝えてくださりました。
この本が動物病院等へ置かれ、僕と同じ境遇になってしまった方へ少しでも多く届られればと思い、初版印税の一部を寄贈のために使うことを決めました。
僕と愛猫ポポロンの闘病の日々が、たくさんの猫ちゃん、そして飼い主様の心を救う手助けに、少しでもなれば幸いです。
書籍を院内や施設内に置いてもいいよ!という方は、書籍をお送りさせていただきますので、下記フォームからご連絡いただけますと幸いです。
是非「猫飼おうと思ってるんだよね!」と言ってる知人友人様にも、動物と暮らすことの忘れてはならない大切なこととして、この本をお勧めしてみてください。現実を知ることの大事さ、忘れてはならない事実があるんです。
きっと、僕と同じように闘病や、ペットロスで、苦しんでいて、でも、僕とは違って、ずっとずっと暗闇にいるような感覚のままの人もいると思います。
僕を真似しろ!とは言いません。
でも、愛猫との別れを経験したとしても、僕のように受け止めて僕のように過ごして僕のように落ち着いて過ごすことは、誰でもできるんです。
この本にその正解が書いてあるわけじゃない。
でも「考え方」の参考くらいには、なるかもしれない。
そんな気持ちで、作った本です。
過去にたくさん書籍出版していますが、今回ほど思いを込めて書いたものは、当たり前ですが、ありません。
この本が売れたらポーチーが蘇るとか、そんなわけでもないです。
でも、この本のおかげで、どこかの誰かが、愛猫との最期の瞬間や、闘病の過ごし方を、1mmでも有意義で、幸せな時間にしてもらうことができたなら僕とポーチーの闘いに、意味があったのだと、そう思える気がします。
僕らの大切な記録が誰かの役に立ちますように。
世界の猫が、世界の猫と暮らす人々が、もっと幸せでありますように。













