闘病も終えた
終活も終えた
火葬も終えた
先生にも伝えた。
翌日すぐに、先生たちからポーチーへお花が届いた。

ありがたいね。ポーチーにも見せて、玄関に飾った。
ひと段落。

変わらず、みんなと寝ているんだ。
変な感覚だ。
何も、何も変わらない

こうやって、みんなとくっついて、みんなと寝ている。
変な表現だが、「何も変わらない日常」が戻ってきたようだった。
何度かブログで書いている通り
「24時間猫の動向を観察しているわけじゃない」
だから、今こうして目に止まった瞬間にポーチーがいないのは、どこかに隠れているだけなのかなとか、闘病なんてものがなければ、仕事の忙しい日はご飯の時間以外顔を合わせない日すらごく稀にだが、あったはず。
いなくなったから、途端に存在を感じなくなった、なんて、それこそ人間の都合のいい話でしかなくて、”見えていない”ことにきっと変わりはなくて。
裏を返せばこの世からいなくなってしまったとしたって、存在を感じようと思えば、感じられるのかもしれない。
でも、いない事実は受け止めなければいけない。
でも、僕にとって、みんなにとって、きっと”この家にポーチーがいる”というのは、ずっとただただ事実なんだろうなと
触れないとか、遊べないとか、寂しいなって思うけど、でも、僕の中ではずっとそばに、ここにいるって思えてる。
そんな日が続いているんじゃないかな、なんてうっすら思ったり。してる。
火葬から数日経って、すでにこの落ち着きっぷり。さすが猫マスター。
いや、自分でも思うんです
意外とドライなんだな、って。
ちょっと自分でも思いました
酷い人間なのかな、とか、最低かな、とか
意外と凹んでないことにも、意外と日常がおくれてることにも、食欲だって普通にあるし、夜も普通に眠れていて
あれ、大事な大事なポーチーが虹のはしを渡ったのに、この程度しか、自分に影響がないんだ?
って。
辛くないわけじゃない

辛いに決まってるし、寂しいに決まってる
でも、なんでか、気分はすごく落ち着いていて、今まで通り猫と過ごして、今まで通り仕事をして
普通に生きてる。
終活の期間が、僕の心を強くしてくれたんだ、耐えられるように、その時間が僕を成長させてくれたんだって、そう思うようにしてたけど
それにしたって、バクバク食うし、グーグー寝る。非情な人間だなあ。
いや、きっと、いいことだよね。心が元気であることは、残されたものの、責務なんじゃないかなって、そう思うんだ。
他に家族がいてみんなを支えなければいけない。ここで精神が終わってたら、それこそ全員不幸にしちゃう。
無意識に、そう思うことで、きっと心が強くあるんだ。
まだまだ、お皿をついつい5個出して、5個にご飯を分けちゃうし、いつ膝に乗ってきてもいいように、膝の角度をいい感じにして置いたりもしちゃうし笑、慣れてるんだか、慣れてないんだか。分からないんだけど
気持ちは落ちている。僕、皆様が思うよりずっとずっと、元気です。
と思っていたのだが・・・・
そんな日常を数日を送ったある日、僕の体に異変が起きました。
普通に食って、普通に仕事して普通に寝てた、そんな日の夜
突然嘔吐。止まらない吐き気。そして、下痢!
げ、、なんだこれ、、
と思っていたら・・・
40度こえの高熱・・・
トイレで倒れ込んでしまった。
倒れている間も下痢嘔吐が止まらず、地獄絵図。
まずい、
しにそう
そう思った
そして諸々は省略するが

最終的にこうなった
検査でもなんの菌等も出ることはなく、結果としては原因不明。
深夜に大学病院のお世話になることになってしまった。
吐き気が治れば帰れるから帰りたいというわがままで、深夜にかかって点滴をしばらく打って翌朝には自ら帰宅。
猫たちのご飯を出し、自分はぶっ倒れた。
その後、なんと7日間、OS1以外のものを口に入れることができず、ポーチーの闘病前68kgだった体重がお別れの時に62kgに。
そしてこの謎の体調不良でなんと57kgまで落ちてしまった。
当たり前だ・・何も食ってないのだから・・・
当初から考えるとポーチー二匹分の体重が減っていると思うとなかなかすごい。
猫のご飯だけをひたすらしっかり出して、トイレを掃除して、あとは一生倒れるのみの一週間。
やっとゼリーだけ食べられるようになったが完治と言える状態まで2週間かかった。
人生でもこんな謎の症状は一度もない。。
悪夢のような時間だった。
実は相当メンタルにきてたっぽい

心を守るために、体が、心が、勝手に平静を装っていて、普通に生活していた。できていた。
でも、違ったみたい。
普通に生活してたのは、メンタルがきつかったからなんだ
きっと、ポーチーの死を受け入れなければいけない、でも受け入れたくない、そんな葛藤で、心が勝手にバリアを張って、普通に過ごしてた
でも、その心のダムのようなものが決壊して、体調に一気に現れたのだろう
僕は自他ともに認めるほど、体調管理がしっかりしていて、外ではエレベータのボタンやドアの取手ですら指先で何かに触れたりなどしないくらいの潔癖症で、本来はずっと宙に浮いて呼吸もしないようにしたいくらい。
そんな過ごし方なので菌とは無縁で風邪なんて10年以上引いてなかったのに。
今回の地獄のような体調不良がきっかけで
ポーチーとの別れの、本当に自分の心が見れたような気がした。
ポーチー

やっぱり、僕、ポーチーいないと寂しいな
たくさん無理させてごめんね
でも、この家にいる、それはきっと紛れもない事実だから、ポーチーを必ず見つけて、
見えないポーチーとの過ごし方を、僕なりに見つけて
また、一緒におにごっこしようね
以前書いた有料記事に付随する「実は・・・」な話があるので、またも怖い人対策で、有料ですが、後日談?裏話、として、記事にしました。
もしお時間ある方は是非お読みになってみてください。多分衝撃受けると思います。
ポーチーとお別れしてから、僕がどんな人生を送っているのか。
たまーに、月に数回くらい「こんな感じで実は・・・・」の話を書いていきますので、暇で仕方ない時の読み物にでもしていただけると嬉しいです。
ポーチー
会いたいなあ。
次回
ポーチーへの本当の願い
体調不良を巻き起こす僕が今、とっても元気な理由、記事にしています。
こちらは以前も記事のリンクを貼りましたが、お読みで無い方、是非ご覧になってみてください。
心を元気に保つための方法はたくさんあると思います。人それぞれ正解があると思います。
僕なりの最適解を、記事にしました。
普通の人では理解できないくらい、すごいことしてます。
怖い人に読まれると怖いので、大変申し訳ないのですが、本音記事系は今後も有料で公開してます・・・
怖いコメントやリプ集もいつか記事したいくらい・・・・
【聴く募金】闘病記を歌った曲「ずっとおにのターン」

実はポーチーが亡くなったその日に
「ずっとおにのターン」
と言うタイトルの楽曲をポーチーを膝に乗せていそいそと作りました。
Apple MusicやSpotify等、割とどこからでも聞けるようになっています。
こちらの楽曲のサブスク売り上げの一部を、猫や動物関連の施設や、研究チーム的なものに、寄付いたします。(詳細は後述)
なんとなく楽曲タイトルでお分かりの通り
この闘病記の、僕たちの物語の言うなればエンディングテーマのような楽曲です。
歌詞等はこちらから読めます。
聴いた方、是非Xとかインスタで、拡散したり感想教えてください。
僕とポーチーの思い出だもん。
楽しくなきゃね。
僕たちはいつだってスキップするように、おにごっこやパトロールをしてたんだ。
今だって、きっとみんなとお散歩してる。
ちょっと苦手なジャンルでプロらしくない拙い作りですが笑、またそれも逆にご愛嬌で。
楽曲解説や詳細はまた後日投稿しますね。
寄付について
この「ずっとおにのターン」のサブスク配信等の印税(配信の分配)の一部とそことは別の僕自身の気持ちを乗せて、保護猫団体、またはどこかの動物医療等の研究チームその他、、良さげな箇所に寄付致します。
たくさん聴いていただければたくさん寄付できるようになると思います。
“聴く募金“
皆様がお金を払った分だけ寄付されるのではなく、聴いて頂くだけで寄付になります。
投げ銭をそのままどこかに、ではなく、一応副業で(とネタで言ってますが本業です笑)音楽を生業としている身として、考えうる最大のお返しかなと思い、こう言った対応にさせていただくことにしました。
一部と言っているのは、ケチとかではなく、制作料や配信手数料、諸々の税金、そしてこれは身勝手と言われてしまうかもですが、我が家の猫たちもたっっっっっっっっっっくさん頑張ったので、我が家の猫たちのために、そして猫貯金にも一部回させてください・・・
是非聴いていただけたら幸いです。
つきましては、ここに募金すると良いぞ!みたいなのがあったら是非とも!リプください。
(※印税の支払いタイミングは毎月とかではないため、随時その時々に必要な、良さげなところへ寄付して行ければいいなと思っております。)
なお申し訳ありませんが、今回は個人のクラファン等への寄付は行いませんので
「僕に私に!」と言う連絡はご遠慮いただけますと幸いです。(お金の話すると必ずきますので、、)
ここまで読んでくださって、日々応援してくださった皆様への、一応本業が音楽家である僕らしく、心のこもったお返し?になればなと。
昨日の今日ですが
現状JAHAというところから寄付かなあ?と思っております。
非力でも微力でも世の中、世の猫たちへの恩返しになればと思います。
ポーチーとの最期の時間を凝縮した楽曲、二人で、いや、みんなで作った楽曲で、少しでも世の中のためになって、ポーチーはまた世界のヒーローになるんだ〜
基本何かない限りはずっと楽曲の配信は継続しておきますので、お家の猫ちゃんたちと楽しみながら聴いて楽しんでもらえればと思います。イントロはぜひ自分のお家の家族の名前にしてください笑。
曲使って動画作ったり、自由にしてもらっていいので、楽しく聴いてくださいね。
曲がりなりにも作家として生きている僕なりの、お返しです。
「愛猫が余命20日と宣告されました」が書籍化されました

獣医師の服部幸先生監修の元、この闘病記録が書籍化されることになりました。
ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。
僕の心の中全てを書いています。
抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。
そしてなんと・・・表紙のイラストは、なんとあの「はせがわゆうじ」先生。
メンツが豪華すぎる書籍
その主人公はポーチー。
僕たちが過ごしてきた、闘ってきた日々が誰かの救いになることを願って、書籍化しました。
この闘病記録、僕の考え方をブログやSNSで日々発信していく中でたくさんの方が「心が救われた」と伝えてくださりました。
この本が動物病院等へ置かれ、僕と同じ境遇になってしまった方へ少しでも多く届られればと思い、初版印税の一部を寄贈のために使うことを決めました。
僕と愛猫ポポロンの闘病の日々が、たくさんの猫ちゃん、そして飼い主様の心を救う手助けに、少しでもなれば幸いです。
書籍を院内や施設内に置いてもいいよ!という方は、書籍をお送りさせていただきますので、下記フォームからご連絡いただけますと幸いです。
是非「猫飼おうと思ってるんだよね!」と言ってる知人友人様にも、動物と暮らすことの忘れてはならない大切なこととして、この本をお勧めしてみてください。現実を知ることの大事さ、忘れてはならない事実があるんです。
きっと、僕と同じように闘病や、ペットロスで、苦しんでいて、でも、僕とは違って、ずっとずっと暗闇にいるような感覚のままの人もいると思います。
僕を真似しろ!とは言いません。
でも、愛猫との別れを経験したとしても、僕のように受け止めて僕のように過ごして僕のように落ち着いて過ごすことは、誰でもできるんです。
この本にその正解が書いてあるわけじゃない。
でも「考え方」の参考くらいには、なるかもしれない。
そんな気持ちで、作った本です。
過去にたくさん書籍出版していますが、今回ほど思いを込めて書いたものは、当たり前ですが、ありません。
この本が売れたらポーチーが蘇るとか、そんなわけでもないです。
でも、この本のおかげで、どこかの誰かが、愛猫との最期の瞬間や、闘病の過ごし方を、1mmでも有意義で、幸せな時間にしてもらうことができたなら僕とポーチーの闘いに、意味があったのだと、そう思える気がします。
僕らの大切な記録が誰かの役に立ちますように。
世界の猫が、世界の猫と暮らす人々が、もっと幸せでありますように。











