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“いないはずのポーチー”その存在を早くも感じる出来事が・・・(スピってないよ。マジの実話の話)【ペットロスに苦しむあなたへVol.11】 

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ポーチーがいない時間を過ごす。

とてもとても時間が経つのが遅い。

そりゃそうだ。やることがごっそり抜けてるんだから。

当たり前だよね

でも、なんだか、いない時間を長く(感じながら)過ごすと言うのは、寂しいんだー。

でも、その分他のみんなといる時間も長く感じるわけで、いいかー、と思ったり、不毛丸出しみたいな時間を過ごしている。

溜まった仕事を淡々とこなす

仕事が、ヤヴァイ

闘病中期以降くらいからはまともに働ける精神状態ではないというか、目を離すと気にもなるし見ていられる範囲でのお仕事をやるようにしていた。

終活期になると、そりゃもう一瞬たりとも目が離せないので、働くなど皆無。

そんな自由なお仕事でよかったね、と思いつつ、働かなくても金が入るほど楽な生活ではないので、精神的に、そう言った面でも喰らっている。

働かなきゃ、切り替えなきゃ

そう思いながら、パソコンをいじる。

僕は本業が作曲家なのだが、こう言う時はしみったれたバラードとか書きたくなるんだろうなと思いません?

逆でね、こう言う時はめっちゃ破壊的なサウンドの曲とか、明るい曲を描きたくなったりするんです。

この時書いて世に出た曲はどれもとてもまっすぐ明るい曲調で、歌ってくれてるアーティストさんのファンから

「聞いてると1日頑張れる!」とか「元気になれる」と言うコメントがたくさん。

余談だが、人間は音楽を聴いて感情の補完をしようとするらしい。

元気がない時に元気な曲を聴いて元気に頑張ろう!みたいなことができるのは人間だけ。

そして音楽家は「元気がないから元気になりそうな曲でも作りますか」ができる特殊な人間。

以前も書いたことがあるかもしれないが、僕は音楽が死ぬほど好きでやっているわけではなく、それしかできないから申し訳程度に続けているだけで、すんごい愛があるわけじゃない(言い方)

猫たちに「あたしと音楽どっちが大事なの!?」ともし聞かれる場面があったら、家にあるギター全てを窓から投げ捨てて

「猫です!!!

と叫べる自信があります。

そんな僕だが、今だけは、この仕事をしていてよかったなと、思えた。

闘病中落ちまくってる時の「キャッチーで可愛い明るい曲!」みたいな発注は地獄だったけどな・・・

ポーチーとの楽しい思い出や気持ちを

どうにか明るく楽しく!そんな気持ちで、過ごそうとしても、どうにもならん、

やっぱり”ここ”に、ポーチーがいない。

「いや!あいつはな!俺たちの!ここ(胸の中)にいるんだぜ!!!」

そう思おうとしても、猫たちと違って、存在を感じられない

存在を感じられないのは、逆に死を受け入れられていないからなのかな

とか

心の中に良すぎて、外からは感じられないのかなとか

色々考える。

でも、答えは見つからない。

骨壷を抱いて、仕事をしたり、骨壷見つめてみたり、

でも答えは出ないし、返事も来ない。

これが、きっとペットロスなんだ。

代わりなんていないし、いくら綺麗事を言っても、受け止められるはずがないんだ。

がんばれ私

ただ無心で仕事をこなし乗り越えよう

それしかない。

ただひたすら働いて、脳みそを仕事で埋め尽くして、今を乗り切りながら、ゆっくり受け止めていこう

カチャカチャカチャ溜まっていた仕事やメールの返信、書類作成をひたすら行う。

一つ終わるたびに、ため息。一つ終わるたびに、辺りを見回してしまう

いつもなら、膝にポーチーが来たり、寝ている様子が見えたりしていた。

今はみんなはいる。でも、ポーチーはいない。

はあ・・・。会いたいな。

会いたいな

会いたいな

気がつけば、小さい声で謎に永遠反復詠唱していた。

仕事もしないと、残った家族を養えない!頑張らないと

でも

会いたいな

どこにいるのかな

急に「なんでポーチーなんだ」とか「クソクソクソ」と怒りモードに入ったり。

感情が全く落ち着かない時間が続いた。

ここから嘘のような本当の話をします。

スピってないです。ただの、実話です。

猫もきっと嘆く飼い主なんて、見たくない

一つ書類を作るたびに、嘆いた。

ブツブツブツブツ・・嘆いた。

一瞬集中できる。でも、数分経てば、嘆いた。

あれだけ前向きでいなければと強く思っていたのに。

どうしても嘆いてしまう。

ザコい飼い主でごめん・・・・

こうしてまた嘆いてしまう。

こんな時間を数時間繰り返していたその時

カチャン

何かが落ちる音がした。

リュックやニックあたりが、凹む僕を勇気づけるため、おもちゃを持ってきてくれたのかな。そんなふうに思った。

でも、何か、聞いたことのない音だった。異変に感じた僕は、階段に走った。

すると・・・

ポーチーの遺品である、ポーチーの首輪が、棚から落ちていた。

この首輪だ。

「いやいや他の猫が落としたんだろ」

そう思うかもしれない。しかし、違うんだ。

この首輪

絶対に猫が登れないしさわれない階段の上の廊下に繋がる棚(地面から5mくらいの位置。もちろん足場等はなし)に設置されてるんだ。

下から見るとこんな高さ。まず触れることはない。

ポーチーからもらった、毛や、最後に使った毛布、ネズミなどを、この棚に陳列している

ネズミの即売所や

羨ましそうにその即売会を見るネズミ

アートに興味津々のネズミなどがいる。

その中でも、

特に、落ちないように置いていた首輪が

落ちた。

しかも

ポーチーが闘病時にずっと使っていた、階段の位置に落ちていた。

階段上に設置しているので、当然と言えば当然だが・・・・

はっきり言おう。

まず

この首輪は、ほぼ100%勝手に落ちることはない位置に置いてある。

そして

10000%猫はさわれない位置に置いてある。

僕がわざわざ触らなければ落ちることはないし、僕が触るのすら絶妙に困難な場所だ。

それなのに、落ちた。

窓が空いていて、風で?とかも思った。

でも、違った。窓なんてどこも開いてない。

それなのに、落ちてきた。

まるで、ポーチーがこの廊下から、階段を降りてきたみたいだった。

足音が聞こえるような気すらしたよ。

この大好きな僕の雑DIYキャットステップから、いつもみたいに勢いよく、階段を降りてきてくれたのかな

落ちた首輪を見つめ

「ポーチー、ここにいるの?」

つい、そう聞いてしまった。声に出してしまった。

ここから【スピってないよ第二弾】となるが・・

そんな声を出した途端

後方に風が抜けるよな、何か、気配を感じた。

これは、きっと、気のせい。

だと、思う

でも、その時の僕にははっきり感じた

ポーチーがパトロールしてる時の感覚。

見えてないのに、歩いてるのがわかる。

今はこの世にいないから見えてないのは当たり前なんだけど

生前から、仕事してて、目では見てないパソコン見てても

その「気配」でポーチーがどこをパトロールしているかは一目瞭然状態だった。

いま、まさにそれを、感じてる

なんだ、ポーチー、骨壷の中にいるのかと思ってめっちゃ話しかけてたわ笑。

パトロール中だったか笑。マジごめん笑。

笑ってしまった。

いや

笑えてしまった

いや

笑わせてくれた

ありがとう。ポーチー

僕前向いて進めるわ。

だって、この家、ポーチーがパトロールしてくれてるんだもん

最強じゃん。

僕も、たまには、パトロールルート一緒に歩くからさ

また、一緒に歩こう

たったこんな出来事で

一瞬にして、心が軽くなった。

リュックだけ見えててずるい!とか思ったけど

全然違った

ポーチーは、みんなにちゃんと会いにきてくれてる。

僕があまりにぐずぐずやってるから、我慢できなくて首輪落としたり、目立つことしてくれたんだな笑。

多分「気のせい」で終わらせようと思えば、終わらせられる話。

でも、違う。気のせいなんかじゃない。

我が家には、ポーチーが、いる。

スピってないよ笑!!!!!!本気だよ笑!!!

僕らにはわかる。

だって、ずっと一緒に暮らしてきたんだ。

全部、わかって当然!!!

また、馬鹿みたいに嘆いて、凹んで、悲しんでたら

首輪落として笑。

ギターなんて倒したこともないけど、ギター倒してもいいよ

なんでもいいから

その存在を感じさせてね。

もしいつかその存在が感じられなくなってしまうことがあったとしても

その時には、僕、大丈夫になってるはずだから

ザコい僕のために、たまに、存在感出してね

おもちゃも、ネズミも、首輪も何もかも、全部、だしておく。

だから、たくさん遊んで。

たくさん、会いに来て。

でも、次の明るい人生のための準備でいいんだよ。

その気配が、もし感じられなくなる日には

その時は

「よっしゃ!!!また!!!会えるな!!!!」

って、胸はって、声高らかに明るく前向きに叫べるようになっとく!!

だから、まだ、もうちょい

僕らのためにパトロールお願いします・・・!笑

次回

先生にことの顛末を伝えに行くも、、、予想外の展開に、、

【聴く募金】闘病記を歌った曲「ずっとおにのターン」

実はポーチーが亡くなったその日に

「ずっとおにのターン」

と言うタイトルの楽曲をポーチーを膝に乗せていそいそと作りました。

Apple MusicやSpotify等、割とどこからでも聞けるようになっています。

こちらの楽曲のサブスク売り上げの一部を、猫や動物関連の施設や、研究チーム的なものに、寄付いたします。(詳細は後述)

なんとなく楽曲タイトルでお分かりの通り

この闘病記の、僕たちの物語の言うなればエンディングテーマのような楽曲です。

歌詞等はこちらから読めます。

聴いた方、是非Xとかインスタで、拡散したり感想教えてください。

僕とポーチーの思い出だもん。

楽しくなきゃね。

僕たちはいつだってスキップするように、おにごっこやパトロールをしてたんだ。

今だって、きっとみんなとお散歩してる。

ちょっと苦手なジャンルでプロらしくない拙い作りですが笑、またそれも逆にご愛嬌で。

楽曲解説や詳細はまた後日投稿しますね。

寄付について

この「ずっとおにのターン」のサブスク配信等の印税(配信の分配)の一部とそことは別の僕自身の気持ちを乗せて、保護猫団体、またはどこかの動物医療等の研究チームその他、、良さげな箇所に寄付致します。

たくさん聴いていただければたくさん寄付できるようになると思います。

“聴く募金

皆様がお金を払った分だけ寄付されるのではなく、聴いて頂くだけで寄付になります。

投げ銭をそのままどこかに、ではなく、一応副業で(とネタで言ってますが本業です笑)音楽を生業としている身として、考えうる最大のお返しかなと思い、こう言った対応にさせていただくことにしました。

一部と言っているのは、ケチとかではなく、制作料や配信手数料、諸々の税金、そしてこれは身勝手と言われてしまうかもですが、我が家の猫たちもたっっっっっっっっっっくさん頑張ったので、我が家の猫たちのために、そして猫貯金にも一部回させてください・・・

是非聴いていただけたら幸いです。

つきましては、ここに募金すると良いぞ!みたいなのがあったら是非とも!リプください。

(※印税の支払いタイミングは毎月とかではないため、随時その時々に必要な、良さげなところへ寄付して行ければいいなと思っております。)

なお申し訳ありませんが、今回は個人のクラファン等への寄付は行いませんので

「僕に私に!」と言う連絡はご遠慮いただけますと幸いです。(お金の話すると必ずきますので、、)

ここまで読んでくださって、日々応援してくださった皆様への、一応本業が音楽家である僕らしく、心のこもったお返し?になればなと。

昨日の今日ですが

現状JAHAというところから寄付かなあ?と思っております。

非力でも微力でも世の中、世の猫たちへの恩返しになればと思います。

ポーチーとの最期の時間を凝縮した楽曲、二人で、いや、みんなで作った楽曲で、少しでも世の中のためになって、ポーチーはまた世界のヒーローになるんだ〜

基本何かない限りはずっと楽曲の配信は継続しておきますので、お家の猫ちゃんたちと楽しみながら聴いて楽しんでもらえればと思います。イントロはぜひ自分のお家の家族の名前にしてください笑。

曲使って動画作ったり、自由にしてもらっていいので、楽しく聴いてくださいね。

曲がりなりにも作家として生きている僕なりの、お返しです。

「愛猫が余命20日と宣告されました」が書籍化されました

獣医師の服部幸先生監修の元、この闘病記録が書籍化されることになりました。

ここまでたくさん読んでくださった皆様にも、今一度読んでほしい。

僕の心の中全てを書いています。

抗がん剤や、闘病の過ごし方など素人である僕の知見だけでは心許ないですが、一流の獣医師様監修で、闘病についても安心してお読みいただけると思います。

そしてなんと・・・表紙のイラストは、なんとあの「はせがわゆうじ」先生。

メンツが豪華すぎる書籍

その主人公はポーチー。

僕たちが過ごしてきた、闘ってきた日々が誰かの救いになることを願って、書籍化しました。

この闘病記録、僕の考え方をブログやSNSで日々発信していく中でたくさんの方が「心が救われた」と伝えてくださりました。

この本が動物病院等へ置かれ、僕と同じ境遇になってしまった方へ少しでも多く届られればと思い、初版印税の一部を寄贈のために使うことを決めました。

僕と愛猫ポポロンの闘病の日々が、たくさんの猫ちゃん、そして飼い主様の心を救う手助けに、少しでもなれば幸いです。

書籍を院内や施設内に置いてもいいよ!という方は、書籍をお送りさせていただきますので、下記フォームからご連絡いただけますと幸いです。

是非「猫飼おうと思ってるんだよね!」と言ってる知人友人様にも、動物と暮らすことの忘れてはならない大切なこととして、この本をお勧めしてみてください。現実を知ることの大事さ、忘れてはならない事実があるんです。

きっと、僕と同じように闘病や、ペットロスで、苦しんでいて、でも、僕とは違って、ずっとずっと暗闇にいるような感覚のままの人もいると思います。

僕を真似しろ!とは言いません。

でも、愛猫との別れを経験したとしても、僕のように受け止めて僕のように過ごして僕のように落ち着いて過ごすことは、誰でもできるんです。

この本にその正解が書いてあるわけじゃない。

でも「考え方」の参考くらいには、なるかもしれない。

そんな気持ちで、作った本です。

過去にたくさん書籍出版していますが、今回ほど思いを込めて書いたものは、当たり前ですが、ありません。

この本が売れたらポーチーが蘇るとか、そんなわけでもないです。

でも、この本のおかげで、どこかの誰かが、愛猫との最期の瞬間や、闘病の過ごし方を、1mmでも有意義で、幸せな時間にしてもらうことができたなら僕とポーチーの闘いに、意味があったのだと、そう思える気がします。

僕らの大切な記録が誰かの役に立ちますように。

世界の猫が、世界の猫と暮らす人々が、もっと幸せでありますように。