抗がん剤投与の経過と「最悪」
まさかの、リンパ腫宣告。
我が家の愛猫ポポロンと同じ。
発祥場所こそ違うが、リンパ腫。つまり最悪の腫瘍だ。
なぜこんな身近でまた。
苛立ちを隠しきれない。
許せない。しかし、何を言ったって仕方ないんだ。
あとは向き合うしかできない。
先生も可能性はイマイチ微妙という感じだが、それでも、何もせずただ諦めていいのか。
いろんな思いが交錯するが、あくまで、実家の両親が最終的には決める事なんだ。
僕がとやかく・・・言いたいけど、言い過ぎない。言わない。
ポポロンの時とはまた少し違った、感情だった。
兎にも角にも・・・
すんぴの抗がん剤がスタートした。

両親は祈るように「抗がん剤が効きますように」と言っていた。
しかし両親も、そして僕も、ある種わかっていたのかもしれない。
抗がん剤はおそらく、効き目がないんじゃないだろうかと。
抗がん剤に関しては、愛猫ポポロンの闘病記でも過去に何度も書いたことがある。
きっと僕らは、ポポロンの時もそうだったけど、本当に本当にちっちゃな確率でもやっぱりすがるように信じたくて、信じることでしか心の平穏を保つ方法がなくて、そのために
「効きますように」と口に出していたようにも思えた。
言霊を信じて、愛を信じて、そう願うように祈るように発していたんだと思う。
腫瘍の宣告を受けて、父親が変わった気がした

腫瘍の宣告を受けてから、父親は人が変わったかのようにすんぴと一緒に過ごさなくなった。
無論別に突き放しているとか、逃げようとしているとか、そういうことではない。
今まではもう日課のように、特定の時間になったら父親が猫じゃらしを持ってきて、すんぴがそれに飛びつく。
テレビを見ながら猫じゃらしをしたり、ちょっとおやつを食べたり、そんなことをしながら眠くなったら一緒に寝る。
そんな生活が365日だった。
僕はもちろん、両親も、猫と暮らし出してからは旅行に一度も行っていない。
つまり丸一日離れ離れになるなんてことは基本的にありえないのだ。
だから毎日遊んで、毎日一緒に寝て、過ごしていた。
しかし、今のすんぴはほとんどご飯を食べず、そのせいかお腹が気持ち悪いのか、ほとんど動かない。
父親の書斎のデスクの奥に、猫がギリギリ入れるスペースがあるんだけど、すんぴはその奥にこもってしまうようになった。
姿を見ることも、触ることもできないような位置で、一日中寝ている。
僕だったら病気と言われて、調子も悪くて、ご飯も食べられなくて、そのうえ部屋の奥に隠れられてしまったら、寂しいし何より心配だから、このブログでもよく書いている「人間のエゴ」が発動してしまって、ついつい引っ張り出して目に見えるところで面倒を見たいと思ってしまう。
でも父親は優しい男すぎて
「すんぴが痛いんだから、すんぴのしたいようにさせてあげる方がいいと思う。そっとしておいてあげよう」
と言った。
それがある種、見て見ぬふりに近いものだったのかもしれないし、そうではなくて、本当にすんぴを愛しているから、すんぴのためにと思って隠れていることを許容して、その選択をして日常を過ごしていたのかもしれない。
父親とすんぴが過ごす時間は半分どころか、本当に何分の一だろうというぐらい、一気に減ってしまった。
母親は少し逆だった。

「響介、どうしたらいいかな」
「何なら食べるかな」
「何なら食べるかな」
毎日のようにLINEが来た。
抗がん剤を打ってからの数日間は、ずっとLINEでも連絡を取り合っていた。
でもその中でも母親から、
「多分効かないと思うから、覚悟はしてるつもり」
という、後ろ向きなのか前向きなのかわからないLINEも届いた。
後ろ向きになるのはもちろんわかる。僕もそうだった。
でも、頑張ってくれてるすんぴがいるのに全員で後ろ向きにはなりたくなくて
「すんぴも頑張ってるから、そう言わないでもいいと思うよん。効いたら最高だね」
そんなやり取りをしていた。
「大丈夫」とも「頑張ろう」とも言えなかった

ポポロンの闘病時も同じことがあった。
同じように抗がん剤を行ったけれど、初日ですぐ効くかどうかがわかるというより、2日目あたりから副作用だったり、効き目だったり、何かしら変化があるようなイメージだった。
だから親には、
「抗がん剤はね、2日、3日目までは何も変わらないと思うよ」
とは伝えていた。これは半分ほんとで半分嘘で。効く時もあるし効かない時もある。個体差だ。
でも効かない効かない、と凹んでしまわないよう、そう言ってしまった。
それでも夜になると、
「また食べない」
「水も飲んでない」
「やっぱりダメなんだ」
そんな後ろ向きなLINEがたくさん届いた。
でも、それにかける言葉が本当に難しかった。
「大丈夫、大丈夫」なんて軽々しくは言えないし、「頑張ろう」も違う。
「諦めろ」はもっと違う。
息子として、そしてリンパ腫の闘病生活の先輩として言えること、やれることが何かあるだろうと意気込んでいたのに、実際はただの役立たずだった。
すんぴのために何かしてあげたい。
その一心で、当時ポポロンが絶食状態で何も食べられなかった時に唯一食べられた鰹節を持って行ったり、少しでも食べられそうなものを探したり、実家に帰ってすんぴを見に行ったりしていた。
ちなみにこれ。
変にベタ褒めするのもアレだが、3日とか食べてない状態のポポロンにこれをあげたら、めっちゃ食べた。
そしてその後も、ご飯にこれをまぶしてあげるだけで、食べまくった。
食欲のないこの起爆剤になると思う。
しかし2日経っても、3日経っても、正直良くはならなかった。
ポポロンの闘病を思い出していた

このブログでも書いたけれど、少なくともポポロンの闘病中、僕は抗がん剤を「完全に治す薬」というより、クオリティ・オブ・ライフを維持したり、少しでも今の時間を延ばしたりするための治療として受け止めていた。
ポポロンも実は一度、寛解した。
でも、たった1〜2週間で腫瘍が戻ってきてしまった。
本音で言えば、
「治療した意味あったのかな?」
と思ったことだってある。
でも、その治療期間があったおかげで、余命20日と宣告されたポポロンも数ヶ月生きることができた。
だからもちろん、間違っていたなんて思っていない。
ただ、その闘病生活中はご飯が食べられない日もあったし、副作用が強く出てしまったこともあった。
何かをして、いい方向に行けば、一喜し、マイナスな方に働けば一憂し。
本当に、自分のやっていることは正しいのか?
と、毎日葛藤する日々だった。
今、両親がまさにその状況にいるんだと思うと胸が痛かった。
「頑張れ」なんて口が裂けても言いたくない。
それでも、他の言葉が見つからないんだ。それなのに
頼む。頑張ってくれ。そう、つい口に出てしまう。
ポーチーの時はわからなかったけど。
今なんとなく思った。
この頑張れは
すんぴやポーチーにではなくて
抗がん剤!頑張れ!が一番近かったのかもしれない。
すんぴやポーチーは頑張る事じゃないんだ。
ただただ、医療よ、頼む。そんな気持ちだった。
苦しむすんぴも、そして、それをみて苦しむ両親を見るのも
とても苦しい。
しかし、僕は親族で唯一の、リンパ腫闘病経験者なんだ。
書籍まで出してるんだぞ。
僕がしっかりしてれば、少しは家族も救われるはず。
すんぴ。僕もついてるよ。
しかし、抗がん剤から2日経っても、すんぴが食事はおろか、水すら口にすることはなかった。
次回
抗がん剤の行方と最悪
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