「猫には死の概念も病気の概念もない」あと先が短い猫の人生と最善
すんぴの抗がん剤治療が、リンパ腫闘病生活が、まさかのたった数日で、終わってしまった。
ポポロンとの闘病生活は4ヶ月強。
それは長いような短いような、時間だった。
でも、すんぴのたった数日は、あまりに短かった。
しかし、短かったことが最悪なのか、それとも最善なのかは、両親が感じ、両親が決めることなのだと思う。
変に苦しめてしまうことにならなかったといえば、そうだし、もっともっと希望を見たかったといえば、そうなのかもしれない。
でも、現実問題、もう、抗がん剤は続けられないんだ。
ポポロンとの最後の一週間に一気に飛んだ感じだ
僕はポポロンに抗がん剤を数ヶ月続けて、投薬をして、通院をして、強制給餌までやって、もうありとあらゆることを強要してしまった。
だから最後の一週間だけは、
何もしない。ただ、猫と、人間として
本当に幸せな時間だけを過ごしたい。
そう思って、すべての薬や治療をやめて、最後の一週間をリビングで一緒に過ごすという決断をした。
僕は、そこの一週間が本当に幸せな時間だった。
あの時間がなかったら、未だにきっと後悔していたし、未だに悩んで苦しんでいたと思う。
でも最後の一週間、本当に何もしない一週間を一緒に過ごせたことで、最後のその瞬間まで少しずつ覚悟ができて、楽しく過ごすことができたと思っている。
その話を、思い出を、両親に伝えた。
それは、強要するわけではないし、強制するわけでも押し付けるわけでもない。
家族だろうと、決めるのは、飼い主だ。
でも、僕にできるのは「知見を伝えること」「経験を伝えること」だ。
みんなリンパ腫は初めて、闘病も、終活も、初だ。
何も情報がない中で、自分で選択肢を決めていくのと、情報が少しでもある状態で、自分たちで決めていくのでは、全く違う。
だから、僕は僕の経験を伝えた。
すると両親は、僕の話を聞いていようが、いなかろうが、きっと答えは決まっていたのだろう
「もう通院もやめようと思う」
と言って、通院も終えることとなった。
帰宅したすんぴは、もうきっと食べられない。
飲むこともできない。
そしてここからは、もう、点滴をすることもない。
ここからはいよいよ、ただただ、本当に少しずつ体力が、栄養が、体重が、そして、一緒に過ごす時間が、失われていく時間になる。
でもきっと、最後のその瞬間のために、今は準備の時間を過ごしている。
過度な心配だけをするんじゃなくて、そういう大切な時間なんだと思うようにして。
僕はそう伝えた。
そして、僕が闘病で最も感じたことを、重ね伝えた
猫は「死ぬために隠れている」わけではない

すんぴは、体調が悪くなってからというもの、なんとしてでも、父の書斎のデスクの下奥にある狭いスペースに入ってしまう。
残りどれだけ一緒にいられるかわからないのに、家族は優しさから
「すんぴがそうしたいのだから、そうさせてあげよう」
とすんぴの姿を見ることもできずに過ごしていた。
ここは本当に出しゃばりだったかもしれない。
でも僕自身が同じ状況になったら、後悔するかもしれないと思って、伝えた。
「書斎のデスクの下に隠れてしまうのを『すんぴのためだから』とそのままにするのも一つの愛だと思うし、いいと思う。
でも、もしあと3日しかいられないんだとしたら、その3日は両親の膝の上とか、両親に触れながら一緒に過ごしてほしい。それが1日かもしれないし、2日かもしれないから。すぐにでも。」
そう伝えた。
すると父親から、
「でも、本人が隠れたがってるんだから・・・」
と言われた。
僕は、獣医さんから聞いた話や、自分自身が闘病を経験する中で考えてきたことを伝えた
猫は不治の病になってしまったとしても、人間と同じように
「病気になった」「この病気で死ぬかもしれない」「死んだらどうなるんだろう」と考えているわけではない。
我々人間は妙に頭が良くて、医学も発達しているから、
病気なんだ。
治るかな。
死ぬのかな。
死んだらどうなるのかな。
そんなことを考えてる。
でも猫は、
「なんかお腹が変だな」
「食欲がないな」
「気持ち悪いな」
「疲れたな」
きっとそのくらいの感情なのだ。
そしてそれは結果的に
「なんか今日はちょっとだるいし眠いから、暗いところで寝るか〜」
と、普段の体調の悪い時の延長線上、くらいにしか考えてないんだ。
それが、暗い場所や狭い場所へ隠れてしまう行動につながっているだけなんじゃないか。
猫が
「ああ、私はもうすぐ死ぬので、さようなら。見えないところへ隠れます」
なんてやっているわけではない。
「前もお腹痛いことあったな」
「気持ち悪いことあったな」
「今はゆっくり休んでおこう」
きっとそのくらいの気持ちで、人間が熱を出したら布団にくるまって寝るのと同じように、ただただ“今はだるいから”暗い場所へ行っているだけなんじゃないかと思う。
だから「猫は死に目を見せない」という人間側のエゴ丸出しの考えだけで、最後まで隠れさせておく必要はないんじゃないか。
猫は「死ぬ気」で生きているわけではない。

またお腹が痛いのが治ったら、みんなに会おう。
お父ちゃんに猫じゃらししてもらおう。
気持ち悪いの治ったら、母ちゃんが用意してくれたおやつを食べよっと。
もしかしたら、そんなことを思いながら、今は食欲がないから、今だけ、と寝ているだけなのかもしれない。
それを人間側の想像だけで、
「死のうとしているんだから、いじくっちゃいかん」
と決めなくてもいいんじゃないか。
はっきりいう
死んだら、もう触れられないんだよ。お互いに
僕はそう両親に伝えた。
すると
「本当にその通りだね」
という言葉が返ってきた。
もちろん両親だって、本当は一緒にいたい。
余計なことを伝えてしまったかもしれない。でも、僕ができるのは伝えること。
出過ぎた真似だったらごめん。でも
一緒に過ごすという選択をしてくれた。
父親は泣きながら机の下を塞いだ
そう伝えた数時間後に
父親は意を決して、書斎のデスクの下にある猫が入れるスペースを埋めるために、即座に木の板を設置した。
もうすんぴが入れないようにするためだった。
「ここからたくさん、すんぴと一緒に過ごすんだ〜」
そう言いながら、書斎の机の下を改造していた。
その工事を後ろで見ていた母親が、あとで僕に言った。
「お父さん、机の下をすんぴが入れないように埋めながら泣いてたよ」
リンパ腫が本当に憎い。

本当は、そんな板なんて付ける必要はなかったはずだ。
すんぴと最後の時間を一緒に過ごすために、すんぴのお気に入りの場所を塞がなければならない。
これは、マジで、何のための時間なんだ。
すんぴの大事な場所、大事なことを奪ってしまうようで、余計なことをしてしまったかなあ、、と思い、苦しかったが、これで、最後まで誰とも触れることもなく知らない間に、机の下で・・・。なんてことになてしまったら、いやだ。
最高の笑顔が溢れる実家。すんぴにはその笑顔の真ん中で、人生を最期まで過ごしてほしい。
場所を奪ってしまうことですんぴは過ごしにくくなってしまうのかな、と思っていたが、
結果的に、すんぴはデスクの下を塞いだら塞いだで、両親の膝の上でずっと寝てくれた。
机の下>>>>両親の膝
というちょっとひどい評価だが笑、机の下はもういけないから笑、両親の膝で、ワキで、そばで、勘弁してあげてくれ笑。
何も食べない。
何も飲めない。
それでも、両親の膝の上や腕の中で過ごす時間が生まれた。
それはきっと、何を食べるより、何を飲むより
大切な時間のはずだ。
すんぴ、今日もたくさん笑ってね
また、明日
次回
終活と葛藤と最善
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